伝教大師・最澄から今も受け継がれる精神「一隅を照らす」。コロナ禍での行動制限を長きにわたり強いられた2021年も終盤に入り、ワクチンの成果もあって少しだけ明るい兆しが見えてきた昨今の日本だが、本当に大変なのはこれから。だからこそ、今日はこの最澄の教えに込められた言葉の意味を今一度考えていきたいと思う。

平安時代の初期、空海とともに唐へと渡り、日本に密教を持ち帰った人物として知られる最澄。天台宗の宗祖であり、比叡山延暦寺を建てた高僧としても名を馳せているが、当時から何かにつけて空海と比べられることが多く、また現在においては、空海の類稀なる才能と個性の陰に隠れてしまっていることも残念ながら否めない。

Hieizan Enryakuji Temple in Shiga

最澄が入滅してから1,200年の節目にあたる今年は、COVID-19による混乱の渦中にありながら、菅内閣から岸田内閣へと政権が交代。19日には過去最大となる総額55兆円余りの経済対策があらたに発表されたが、まだまだ課題も多く、先が見えない状況が続いている。しかしながら、ようやく経済を動かしていくことに舵を切った日本において、今は天才肌の空海よりも、真摯な努力家だった最澄の教えに心が動かされるという人も多いのではないだろうか。

なかでも「一隅を照らす」という精神は、この世のすべての人々が安泰で幸せに暮らせますようにと、最澄が祈りを込めて伝えてきた教えの一つ。その教えを広めるために、国宝となる人材を独自に養成したかった最澄は、自らの理念と教育法を示した三つの書状を嵯峨天皇に上奏するのだが、その書状の一つ「天台法華宗年分学生式」には、以下の文章(原文は漢文)が記されている。

国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり
道心ある人を、名づけて国宝と為す
故に古人の言わく、
径寸十枚
是れ国宝に非ず
照千一隅、此れ則ち国宝なりと


(後略)

この「照千一隅、此れ則ち国宝なりと」の照千一隅については、「照千一隅」と読むのか「照于一隅」と読むのかでこれまでもいろいろと議論されてきたが、どちらも考えさせられる言葉であることに違いはない。最澄の自筆を見る限りでは、前者の「照千一隅」が正しいが、これでは比叡山延暦寺が伝えてきた精神ではなくなってしまう。

つまり、最澄が残した言葉は、前者の「一隅を守り千里を照らす人間こそが国の宝なり」だが、比叡山延暦寺では、後者の「一隅を照らす人間こそが国の宝なり」と説いてきたのだ。一隅とは、自分が今置かれている場所を指す言葉。「どこにいようが努力を怠らず、その才能で日本全体を輝かせる人が国の宝」なのか、「どこにいようが努力を怠らず、今いる場所で輝ける人こそが国の宝」なのかでは、随分意味合いが変わってくる。

これには、最澄の時代における仏教が、鎮護国家の思想によるものだったこと。それ故に、僧侶と政治が密接な関係にあったことが大きく関係する。さらに最澄は、平城京を中心に栄えた旧仏教(南都六宗)の「小乗仏教=修行した人のみが悟りを得る」という考えに反対だった。なぜなら、最澄や空海が唐から持ち帰ってきた密教は、「大乗仏教=生きとし生けるものすべてが仏になれる」という考えだったからだ。

当時はまだ、旧仏教の勢力も残っており、僧侶として国家に認められるためには、東大寺の戒壇で受戒する必要があった。その為、空海のようにうまく掛け合うことができなかった最澄は、南都六宗と真っ向から対立することになる。またその頃の旧仏教は、修行できる身分の貴族と僧侶が大きな権力を持ち、脱税目的で出家するものもいた。だからこそ最澄は、「径寸十枚、是れ国宝に非ず(お金や財宝などは国の宝ではない)」に対して、「照千一隅、此れ則ち国宝なり(我ら天台宗の僧こそが国の宝なり)」と訴えたかったのではないだろうか。  

Hieizan Enryakuji Temple in Shiga

比叡山延暦寺がこの最澄の言葉を今の時代、もしくは日本人の性分にあうよう意図的に変えたのかどうかは知る由もないが、だとしたらそれは粋な計らいだと思う。そして本来の言葉については、永田町をはじめとする政治家のみなさんに、最澄がどのような意味を込めてこの精神を伝えてきたのか今一度考えてもらいたい。

法然や栄西、親鸞など、多くの高僧を輩出したことから「日本仏教の母山」とも称される比叡山延暦寺。最澄の1,200年大遠忌にあたる今秋は、特別企画「最澄と比叡山」により法華総持院東塔と戒壇院の扉が開かれている。特に初公開となる戒壇院は、天台宗の僧侶も生涯で入るのは一度きりという特別な場所。人間が生きることの根本的な意味を教えてくれるこの言葉を胸に、一度足を運んでみてはいかがだろうか。