対馬、壱岐島、五島列島など、多くの島を有する長崎県。その数971と日本一で、2位の鹿児島県が有する605とは大差をつけてのトップである。その多くの島の中に、今は無人島の端島という島がある。通称「軍艦島」、みなさんご存知、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録された島である。

明治から昭和の時代にかけて、海底炭鉱によって栄えた端島=軍艦島は、長崎港から南西に約18キロの沖合いに位置している。南北に約480メートル、東西に約160メートル、海岸線の全長は約1.2キロで、島全体が岸壁に囲まれている。1960年代には、この小さな島に約5,300人もの人々が暮らしていたというが、これは当時の東京23区の9倍にあたる人口密度で、しかも世界一の数値だったという。

Gunkanjima in Nagasaki

軍艦島にある鉄筋コンクリート造の高層集合住宅30号棟は、出炭量の増加とともに増えていった人口に対応するため、1916年に建設された日本初のRC構造アパート。島の内部には、病院や小中学校、郵便局などの暮らしに必要な施設だけでなく、映画館やパチンコ、ショッピングなどの娯楽も充実。心のよりどころとなる神社までもが揃っており、なんと1950年代のテレビ普及率はほぼ100パーセント! メインストリートの端島銀座には青空市場が並び、それはそれは活気があったという。

その一方で、水道の確保には切実な問題があり、風呂やプールの水に海水を利用するなどの工夫が必要だった。1957年に海底送水管が敷かれてからも、幹部職員用のアパート3号棟や、鉱長社宅の5号棟など一部を除いて、室内風呂が設置されることはなかったそうだ。ちなみに、コンクリートで造られた日本最古の建物は、近くの伊王島にある1877年築の「伊王島灯台旧吏員退息所」で、こちらは無筋で建てられている。

Gunkanjima in Nagasaki
Gunkanjima in Nagasaki

その他にも、軍艦島にはさまざまな工夫が見られる。たとえば、今でこそ普通になった「屋上菜園」も、日本ではここ軍艦島からスタートしたといわれている。緑を育てられる場所が少なく、コンクリートだらけの島で育つ子供たちへの教育の一環として、屋上に土を運び、花や野菜を育てたという。さらに9階建ての65号棟の屋上には、保育園まで設けられたというのだから驚きである。

また、軍艦島は普段から高波の被害が多く、台風ともなると高層アパートを飛び越えて波が襲いかかる。そのため、潮水で覆われた箇所には日照りで塩の結晶ができたという。このような事態に慣れっこの住民たちは、大波見物を島の風物詩かの如く楽しんだというのだから面白い。他にも、島の主要通路の「地獄段」と呼ばれる階段は、なんと中学生のマラソンコースでも使用。なんだかトライアスロンのようである。このように、住民たちは島全体を使ってさまざまな工夫を施し、日々の暮らしを楽しんでいたのだ。

Gunkanjima in Nagasaki

しかし、この豊かな生活を支えていた炭坑での仕事は、ガス爆発と隣り合わせの命がけの作業である。気温30度、湿度95パーセントの地下坑内に一度入ると、最低でも8時間は戻ってこられない。いつ集中力が途切れてもおかしくないような環境での過酷な一日を終えて、日々安堵しながら入る共同浴場の荒洗い浴槽は、炭鉱作業の汚れでいつも真っ黒だったという。

このように、当時の軍艦島での暮らしを想像しながら見学を続けていると、松本大洋のマンガ『鉄コン筋クリート』を思い出す。私はアニメやマンガにほとんど縁がなく育った人間だが、アニメ映画化された鉄コン筋クリートを見たときの感動は忘れられない。ここ軍艦島を舞台に描かれたわけではないし、内容もまったくもって異なるが、個人的にはそのイメージととても重なる。なにかこう、同じ純粋さを感じるのだ。

Gunkanjima in Nagasaki

それにしても、今回の軍艦島ツアーはパーフェクト! と言わざるを得ないほど良好なコンディションだった。ツアーガイドによると今年一番はもちろんのこと、ここ数年の中でもトップクラスに入るらしい。というのも、軍艦島は前述したとおり波の影響を受けやすい。出航できたとしても、島への上陸が叶わない場合があるのだとか。この日は船の揺れさえもほとんどなし。本当にラッキーである。

ちなみに、軍艦島へは個人で行くことができないので、必ずツアーに参加する必要がある。今回利用したのは、“軍艦島コンシェルジュ”というツアー会社。ここはクレジットカードでの支払いも可能で、午後の便であれば、当日の午前中までインターネットで申し込める。ただし、私が訪れたのは2021年4月の中旬前半。すべての都道府県で緊急事態宣言が解除されていた時期とはいえ、コロナ禍で観光客が本当に少ない状況。通常ならば、当日予約は不可能と思っておいたほうが良いだろう。

Gunkanjima in Nagasaki
Gunkanjima in Nagasaki

しかし、このツアーの案内をしてくれた浜口さんの知識が豊富なこと! なんでもグラバーの研究をされていたそうで、説明はわかりやすくユーモアがあり、本当に面白いツアーとなった。この軍艦島のツアーは、同じく「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に登録されている「三菱長崎造船所」も海から見ることができる。この景色がまた迫力があり素晴らしい!

私はそもそも遺跡を見ることが好きだが、それだけでなく、壊れていく段階で停止されたものを見るのが好きだ。たとえば、ビルの建て替えなどで解体工事を行なっている現場の休日。これは実にアーティスティックだと私は思う。特に欧州の現場は、日が暮れはじめてから照らされるライトの色がさまざまで、どこか近未来性を感じる。過去だけど未来、でも現実ではない。その不思議な感覚が好きなんだと思う。

今ふと思いだしたのだが、前にどこかで建物の解体現場を撮影したビデオアートに出会った。確かあれは「テートモダン(ロンドン)」での展示だったはずだが、もしかしたら「グッゲンハイム(ビルバオ)」かもしれない。とにかく無我夢中で見入ってしまった記憶がある。あの作品には深い意味があったはずだが、私にその作者が意図する意味を感じる余裕はなかった。なぜならその映像の強弱がとても面白くて、激しくピアノを弾いているような気分になってしまったのだ。

Gunkanjima in Nagasaki
Gunkanjima in Nagasaki

少し話が脱線してしまった。最後に、今回訪れた軍艦島のどの部分が世界遺産に登録されているのか、みなさんはご存知だろうか。私も現地ではじめて知ることになり非常に驚いたのだが、それは島を守る岸壁のほんの一部分なのである。というのも今回の世界遺産の条件は、幕末の1850年代から明治期の1910年代までに造られている必要がある。そのため、岸壁の中でも「天川工法」と呼ばれる、伝統的な石組みで組まれた護岸のみが登録されているのだ。

もう一箇所、地下に広がる「端島炭坑の海底坑道」も世界遺産に登録されているが、こちらは非公開で見学することができない。コロナ禍はこれからも続く。長崎県と自分の居住地の安全率が高いときに、ワクチン接種や検査を受けた上で、とにかく少人数で訪れてもらいたい。今は国内線の空港でも、コロナウイルスの検査を低価格で提供しており、一部の路線では無料で陽性の有無を確認することができる。一人ひとりが新しい時代に対応し、きちんと対策をして楽しんでいただけたらと思う。