世界遺産にも登録されている真言密教の総本山「高野山金剛峯寺」は、聖地という名に相応しい崇高なる場所である。特に「奥之院」に関しては、世界中どこを探しても存在しない圧倒的な領域だと個人的に思う。これは、私が日本人だから日本贔屓をしているわけではない。これまでに見てきた数々の絶景に勝るわけでもない。つまりは、世界をどれだけ知っていようがそんなことは関係なく、そもそも比べることのできない聖域なのである。

奥之院の入り口である一の橋から「弘法大師御廟」へと続く参道は、足を踏み入れてよかったのだろうかというような、現実の世界とは一線を画す領域で、重いわけでも怖いわけでもなく、だけど圧倒的な力に囲まれているような、そんな空気を感じる。正直、空気と表現していいのかも迷うところだが、神がかっているとかそういう言い回しも違うし、ちょっと次元を超えた一帯なのだ。

Koyasan in Wakayama
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それもそのはず。この2キロに渡って延びる参道には、樹齢1,000年にも及ぶ杉の木が生い茂り、その中には皇室や公家、大名など、名だたる人物の墓石や供養塔が所狭しと並んでいる。その数20万基以上といわれ、豊臣秀吉や明智光秀をはじめとする戦国武将もそれはそれは勢揃い! しかも、織田信長のような高野山とは敵にあたる人物までもが、錚々たるメンバーとともに眠っているのだ。このユニークな現実はさておき、とにかく圧巻である。

Koyasan in Wakayama
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高野山を開創した弘法大師こと空海には、さまざまなエピソードが残されているが、その一つ「飛行の三鈷」は、空海が唐での修行を終えて帰国の途につく際に「真言密教を広めるに良い土地を、先に帰ってお示しください」と、明州の浜辺から三鈷杵を投じたことに由来する。

その法具である三鈷杵は、五色の雲に乗ってぴゅーん! と日本の方角へ飛んでいったというが、帰国から10年経ったある日のこと、根本道場を探していた空海は、黒と白の二匹の犬を連れた狩人に大和国で出会う。その二匹の犬に導かれるまま歩いていくと、今度は山人に出会う。その山人こそが丹生明神で、その山の神からゆずり受けた高野山にたどり着くと、なんとそこに生えていた松の枝に、あのとき投じた三鈷杵を発見するのだ。

Koyasan in Wakayama

古事記にでも描かれているかのようなストーリーで、思わず突っ込みたくなる気持ちは置いといて、これこそ空海、さすがである。両手、両足、口に五本の筆を挟み、同時に五行の書を書いてみせたり、唐からの帰国の際に遭遇した嵐で、大波が真っ二つに割れて道ができたという伝説もなかなかであるが、個人的にはこの「飛行の三鈷」のエピソードが、最強かつ大好きである。誤解を招きたくないので先に伝えておくが、私は敬意をもって空海に接している。そこを忘れないでいただきたい。

少し個人的な話をすると、私はさまざまな神社仏閣を訪れるうちに、願い事などの祈りではなく近況報告をするようになった。「こんにちは」と挨拶から始まり「今日はこんな面白いことがありまして」と話を聞いてもらうようになった。ちょっとおかしな人と思わないでほしいのだが、そのくらい身近な存在になってしまったのだ。これはもしかしたら、ものすごく失礼な話なのかもしれない。だけど私にとっては、縁側でお茶でもするかのようなほんわかした雰囲気に包まれることのほうが多い。もちろん、成果物に対して判断が下されるようなぴりっとしたモードを感じるときもあるし、辺鄙な場所にある神社などを訪れたときには「いやはや、なぜまたこんな所に?」と世間話をするかの如く、たどり着くまでの苦労や出来事を聞いてもらうこともある。

Koyasan in Wakayama

このように私にとっては、神さまや仏さまというよりも、その時々に出会う人間と心で会話をするような場所となった神社仏閣だが、ここ高野山のようにあまりに厳かな場所だと、そういった日常の会話をさせてもらえない。なぜか自然と内なる思いや考えを話していることが多く、具体的な目標を伝えたりもしている。もしくは、完全に無になっていることに後で気づく。

しかし、こうした私の行動はあながち間違っていないのではないかと最近思うようになった。なぜなら、これは一つのバロメーターにもなるからだ。日々をちゃんと生きることが前提にはなるが、高野山のように日常の会話をさせてくれない場所があるということは、私もまだまだ成長過程にあるということ。いつか「こんにちは」と日常の会話ができるようになったとき、それはもしかすると、真理に一歩近づいたサインなのかもしれない。

Koyasan in Wakayama

空海は仏教だけでなく、神道や景教の教えも取り入れてきた人物だ。ようやく日本でも問われるようになった人間の多様性についても、空海から学ぶことはたくさんある。世のため、人のために一生を捧げた空海は、芸術や文学に精通し、社会や教育、他宗教にも見識があり、そしていつまでも学ぶことを忘れなかった。空海の残した功績には、良き理解者であった嵯峨天皇の存在も大きいが、それは逆に、嵯峨天皇が空海の虜になっていたからだと私は思っている。

さて、今回は奥之院のみを紹介した高野山だが、高野山には「壇上伽藍」をはじめとする数々の見どころが点在する。総本山で知られる「金剛峯寺」は、本来は一つのお寺ではなく高野山全体のことを指しており、高野山が「一山境内地」であることも忘れてはならない。入定してから1,200年近く経った今でも空海の教えは新しい。そして、奥之院の「弘法大師御廟」で今も生き続けるといわれる空海。私たちは今こそ、その教えに耳を傾ける必要があるのではないだろうか。