北海道の函館駅から各駅停車の道南いさりび鉄道に乗車し、移りゆく光景を眺めながらコトコト40分ほど揺られると、海沿いにある無人駅「渡島当別」に到着する。ここから歩いて20分ほどの森の中にひっそりとたたずむ「トラピスト修道院」は、1896年に開院した日本で最初の男子修道院である。

修道院に向かってまっすぐ延びる一本道は、通称「ローマへの道」と呼ばれ、杉とポプラの木が整然と立ち並ぶ姿は圧巻だ。並木道のサイドに広がる美しい緑の空間は牧歌的な雰囲気に包まれており、後方に構える当別丸山がそっと寄り添うかのようにその場を見守っている。

Trappist Monastery in Hokkaido

戦後の日本を代表する写真家・奈良原一高が1958年に発表した個展『王国』は、ここトラピスト修道院と、和歌山の女性刑務所を舞台に制作された。前者を「沈黙の園」、後者を「壁の中」と二部構成で表現するこの作品は、外部と隔絶された対照的な世界の中で、それぞれの規律に沿って生きる人々を2つの視点でカメラに収めている。

Trappist Monastery in Hokkaido

奈良原のデビュー作である『人間の土地』も、石炭採掘のために働く炭鉱マンとその家族を長崎の軍艦島(こちらの記事を参照)で、そして、桜島の大噴火により3メートルある鳥居が地中に埋まっても、その灰とともに暮らし続ける集落の人々を鹿児島の黒神村で、それぞれ撮影している。こちらは「緑なき島」と「火の山の麓」、つまり、コンクリートと大自然という対照的な土地にありながら、どちらも過酷な環境下であることに変わりはない。

こうした共通する観点から2つの異なる被写体をカメラに収めていく奈良原の作品は、一般的にいうリアリズムとはまた違った視点で撮られており、社会問題の負の部分だけを被写体に見るのではなく、先入観にとらわれていては気づくことのできない被写体の見えない時間までをも捉えている。それはある意味、本当のドキュメントとも言えるだろう。人間が活動している空間にはエネルギーが生まれるが、たとえば一日の仕事を終えて、その場から立ち去ったあとに残されたその空間もまた、そこで働いていた人の一個人の記録だと私は思う。

Trappist Monastery in Hokkaido
Trappist Monastery in Hokkaido

トラピスト修道院の内部に入れるのは現在も予約した男性のみで、残念ながら私は中に入ることができないけれど、奈良原一向の「沈黙の園」で見たあの静寂に包まれた空間は、しっかりと脳裏に焼きついている。ホテル暮らしに移行するときに彼の写真集を手放してしまったことを後悔しつつ、正門の格子扉から見える中庭や、レンガ造りの外観から想像を掻き立てていく。

正門の扉の手前にある小さな部屋には、修道院の内部の様子や修道士たちの生活の一部を撮影した写真が展示されており、1903年に焼失する前の修道院についても一部資料が残されている。奈良原の作品とは関係ないが、私にとってはそれだけでも十分。それほど奈良原の写真には惹かれるものがあり、ただただ、この修道院に来てみたかったのだ。

また、トラピスト修道院の裏山には、カトリックの巡礼地として有名なフランス南西部の町・ルルドにあるルルドの泉を模して作られた「ルルドの洞窟」があるが、この洞窟にたどり着くまでの道中もまた美しい。

神聖な空気で満たされた木々の中をゆっくり歩いて30分。墓地を越えて森を進み、急な階段をのぼっていくと、そこにはマリア像が祀られている。季節によってヒグマやスズメバチに注意する必要はあるが、頂上から見渡せる函館山や津軽海峡の景色も素晴らしいので、ついでに訪れてみてはいかがだろうか。