連載『マイコビッドナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 イタリア北部の広い範囲に移動制限が発令されてから数時間後、私はいつもと違う朝を迎えた。3月8日の未明に行われたコンテ首相の会見の内容を私が知ったのは、夜が明けてからだった。だがその内容よりも、会見の少し前にイタリア北部の町ミラノがこんなことになっているとは思いもしなかった。封鎖が検討されていることをメディアがリークしたことで一部の住民がパニックを起こし、南イタリアへ向かう最終列車に駆け込んだというのだ。

 夜行列車やバスを含めて希望する人は乗車できたようなので、我先にといった状況ではなかったのかなとその後の情報で知ったけれど、あの映像の中の、大きな荷物を持って急ぎ足で歩く人々の様子からは皆必死だったことがうかがえる。移動の禁止令が出されてからでは遅い。つまり、数時間後の朝では遅い。すでに封鎖されている自治体の様子をずっと間近で見てきた彼らはそう感じたのだろう。そのくらい一刻を争う事態で、一つひとつの首相令も制定・適用ともに凄いスピードで決まっていく。

 イタリア人はまた、家族の絆が相当に強い。日本人のそれとは訳が違う。日本どころか、同じラテン気質のフランスやスペインよりも強いのではないだろうか。イタリアは北部と南部とでは経済格差があり、ロンバルディア州の州都ミラノでは多くの地方出身者が働いている。休校になったとはいえ残っている学生も多いはずで、若い人ならなおさら不安だったことだろう。漏れてしまった会見の内容は結果封鎖ではなかったものの、愛する家族がいる南へと今すぐ逃げたくなるのも無理はない。

 だがこの行為は見えないウイルスを運ぶことになるので、その愛する家族を感染させるかもしれない。私ならあの状況で実家には帰らない。日本でこのニュースを聞いた人たちはきっとそう思ったことだろう。私もそう思う。だけど、ここイタリアでこの状況を肌で感じてきた私は、これで感染者の少ない南部にも一気にウイルスが蔓延することになるが、誰も責めることはできない。イタリア政府はよくやっている。むしろ今までのこの状況が奇跡、そう思った。

 そして、私はこの時、モーパッサンの短編小説『脂肪の塊』が頭に浮かんだ。戦争だと思った。モーパッサンの『脂肪の塊』は、普仏戦争が題材になっているが、この短編だけでなく戦時中のことを扱った小説には、情報を先に掴んだ上流階級の人々が、馬車で遠くの村へと移動していく光景がよく描かれている。それを思い出したのだ。戦時中は封鎖というよりも、自分の住む町が攻撃されることを恐れてのことだけど、今はインターネット社会。同じように皆が情報を共有できる。私の中で戦争という概念が近くなった瞬間だった。

 ドイツやフランスがマスクの輸出を制限するというニュースが2日前に入ってきたけれど、それもEUという概念が崩れていく瞬間のように思えて、その時も一抹の不安を覚えた。またそれとは別に、もし今戦争が起こったならば、果たして日本は生き残れるのだろうか。あまりにも差がある日本政府との対応の違いに、私はもう一度不安を覚えた。そのくらいすべてが早いのだ。様子を見ている暇などまったくなく、どんどん状況が変わっていく。だけど不思議なことに、平和な日本に戻りたいとは1ミリも思わなかった。

 翌9日の夜には、さらなる驚きが待っていた。イタリア北部に発令した移動制限の措置を、明日10日から全土に拡大するとコンテ首相が発表したのだ。え? 一瞬、時が止まった。昨日北部だよね。今日全土? うまく頭が回らなかった。どこまで本当なのか、どこまで厳しい条件なのか。イタリア全土に適用ということ以外、あまり状況が掴めなかった。私はイタリア語がわからない。翻訳アプリのカメラ機能で今流れているニュースを追いかけるには限界があった。ただ一つ理解できることは、すべてが急速に悪化している。それだけだった。

 実際に、ここ数日のイタリアの感染状況は酷いことになっていた。3月7日に5,883人だった感染者数は、その2日後には9,000人を超え、死者も463人になった。韓国やイランの感染者数、死者数をあっという間に上回っただけでなく、たった2日で230人もが亡くなったのだ。しかもイタリアは、その数値が示す9割近くを北部が占めている。すでに医師や看護師の長時間勤務が常態化されており、少し前から懸念されていた医療崩壊も現実味を帯びていた。

 ほんの少し前の日本での神経質な日々など何も存在しなかったかのように、私の過去はあっという間に塗り替えられていった。不安だとか心配だとかそんなことよりも、もっと大きなことが目の前で起きていて、状況を把握するのに精一杯だった。イタリアはどうなるのか、欧州はどうなるのか、世界はどうなるのか。これまでの人生で予想だにしなかったことが、ここイタリアを舞台に実験されていくかのようだった。私はiPhoneの時計を見直した。2020年3月9日23時48分、あと少しで未知なる人生の時間が始まる。