連載『マイコビッドナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 イタリア全土に移動制限が拡大されたことで、私がまず取り掛かったことはアパートメントの手配だった。今、借りている部屋は3月29日までの契約で、そのあとは他の人が借りることになっている。イタリアの移動制限は4月3日まで続くので、そうなると住む場所がなくなってしまうのだ。というのも、移動するには明確な理由を証明する必要がある。たとえば旅行者なら、自宅や居住地に戻るために空港へ向かうなど緊急でなければならない。つまり日本に戻るという選択肢がない以上、動くことはできないのだ。

 職務上の必要性を証明できる人も許可されているが、これは医療従事者や記者のように、今、絶対に必要な職種でなければならない。イタリア政府は基本的にテレワークや休暇の取得を推進しており、虚偽の申告をしようものなら犯罪である。欧州は地続きのため、平日はイタリアで働き、週末はフランスにいる家族と過ごすといった人も多いはず。彼らや私のように決まった居住地を持たない人間は、どのような判断を下せばよいのだろう。とにかくイタリアにいる以上、イタリアの規則に従うのは当然で、それが私の引っ越し生活というものだ。

 しかし、どうすればよいのだろう。今は正常な判断を心がけねばならない。私のあとに予約している人がキャンセルしてくれたら一番よいのだが、すでにイタリアに滞在している記者の可能性もあるし、そうなると望みは薄い。明日明後日の話ではないのでここはひとまず様子を見ることにして、イタリア以外の欧州の状況も調べなくては。最悪の場合、移動やビザに関係してくる。なんだか頭がこんがらがってきて仕事も手につかないので、私はとりあえずワインを飲むことにした。

 今日は朝からずっとテレビをつけていて、移動制限のニュースで持ちきりかと思いきや、イタリア各地の刑務所で起きた暴動の様子が流れている。感染拡大を防ぐための面会停止に受刑者が反発。しかも、その家族までもが抗議している。火災、脱獄、ヘロイン代用薬を目当てに刑務所病院を襲撃とあって死者も数人でているが、びっくりなのはその暴動の数。モデナ、ミラノ、ローマ、ナポリ、フォッジャなど、一昨日から昨日にかけて複数の施設で起きたというのだから、もはやこの国の未来はどうなってしまうのか。

 そういえば、こんな状況になってもWHOのテドロス事務局長は「パンデミックが現実味を帯びてきたが、まだ制御は可能だ」とかなんとか言ってたっけ。それどころではないのでさらっとスルーしたが、考えてみると酷い話である。まあいいや、本当にそれどころではない。この間にもイタリアを取り巻く状況は刻々と変わっている。隣国オーストリアのクルツ首相(当時)は、イタリアからの人の入国を停止すると決めたみたいだし、フランスやスペインの感染者数も1,500人を超えた。国境が閉鎖されるのも時間の問題だと思った。

 だがこれは、ある種の戦争ではあるが、いわゆる戦争とはまったく違う。いわゆる戦争ならばすぐにその場を離れないと死ぬ。でもコロナウイルスの場合は、今帰国の途に就くことのほうが危険である。イタリア各地から集まってきた人たちと同じ公共交通機関に乗って空港に向かい、その人たちと同じ飛行機に乗る。きっと感染者のいる満員の飛行機に。一部の留学生や会社から派遣された人は帰国を余儀なくされるし、北部の危険地帯にいる人なら致し方ないにしても、私のような南部にいる人間からすれば、移動制限が発令されたイタリアにいたほうがよっぽど安全である。

 とはいえ、私の脳は一体いつになったら休まるのか。イタリアの感染者数は12,000人を超えて、死者も827人になった。数日前から死者の数が2日で倍になっていく。このまま同じように増え続けたら、北部の人たちはどうなってしまうのだろう。考えているうちに日付が変わり、この日もまた朝からメディアを追いかけていた。今日のニュースはいつもと様子が違って見える。番組の中の普段は明るい人たちも皆どこか寂しげで、どう対応していいのか不安を隠しきれていないように感じた。

 そんななか流れてきた映像が、イタリアが封鎖されて誰もいなくなったメインストリートの様子だった。案内している人が泣いていた。最初はキャスターかと思ったが、それはバーリの市長だった。今日は3月11日で、東日本大震災が起きた日だった。あの地震による津波や原発事故の報道を東京で見続けた私は、その頃の感覚と重なりとても重苦しい気持ちになった。でもイタリア人は、たとえ市長だとしても感情をあらわにテレビの前で泣いてくれる。消化しきれない皆の気持ちを代弁してくれたように感じて、泣いてくれてありがとうと思った。

 コンテ首相は、その夜にまた会見を行った。その内容はより一層厳しいものだった。「明日12日から、薬局や食料品店などの生活必需品を扱う店以外、すべての商店の営業を禁止します。レストランやバーは宅配のみ。1メートル以上の対人距離を確保できない理髪店なども店を閉じるように」。⋯⋯、開いた口が塞がらないとはこのこと。つまりこれは、ロックダウンというやつである。これらの措置は3月25日までとのことだが、この状況がたった2週間で収束するとは思えない。

 公共交通機関は動いているけれど、それは医療従事者や生活必需品を扱う店で働く人、その生産や流通システムを支える人のためであって、もはや私たちのためではない。不要不急の外出はすでに禁止されている。健康上の理由で動くことは許されているが、この健康上の理由とは一体どこまで? 病院に行く人だけ? 歩ける範囲の散歩はいいのよね? きっとイタリアに暮らすほとんどの人が、この健康上の理由がどこまで許されるのか気になったことだろう。

 そうこうしているうちに、イタリアにある約半数の空港が貨物便を除いて閉鎖。飛行機の欠航も相次ぎ、価格はどんどん高騰。運航するかどうかさえわからないイタリア発の欧州便には、直行便ならすぐの距離にもかかわらず、乗り継ぎ便に10倍以上の値がつけられている。少し前に減便の予定を発表していたブリティッシュ・エアウェイズは、もちろんイタリア便の停止を発表。エールフランス、ウィズエアーも発表。ライアンエアーからは、すべてのイタリア発着便を停止する旨のメールがご丁寧に送られてきた。

 そして、ようやくここにきて、WHOがパンデミックを宣言した。不用意に発言できる言葉ではないとのことだが、そんなことは理解している。だけどもう遅いのだ。これによりアメリカも、英国以外の欧州から渡航を停止すると発表したので、欧州は国境どころか欧州全体が封鎖になるのも時間の問題である。私は、大家のジョバンナ(仮名)に連絡を入れた。「ボナセーラ、ジョバンナ。イタリアが封鎖されて動けないから、次の予約がキャンセルになったらすぐに連絡をお願い! 延長したいです」。

 状況が状況なだけに、幸い数日後にはキャンセルが入った。基本的にイタリアは、さまざまなことが州で管理されている。カンパーニア州の宿泊業を担当する局にでも聞いてくれたのだろう。ジョバンナがその内容を一部抜粋して送ってくれたのだが、「今はあらゆる動きを『待機』としており、当局と警察は移動を『絶対禁止』とする」と書かれていた。どうやら宿泊施設を変更することも認められていないようで、ジョバンナは「4月3日まで追加料金なしでいていいわ。その後はイタリア政府の指令により考えましょう」と言ってくれたのだった。