連載『マイコビッドナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 イタリアが封鎖されたあとも悪化の一途をたどるロンバルディア州の病院では、張りつめた精神で休む暇なく働き続ける医師や看護師たちに、体力の限界が近づいていた。と同時に、集中治療室が足りなくなるかもしれない。そんな事態にまで追い込まれていた。イタリア政府は、重症の肺炎患者に使用する人工呼吸器を配備したり、集中治療室のベッドを増設したりと、あらゆる医療態勢の強化を急ピッチで進めてはいるものの、イタリアは孤立無援の状態で、武漢以外の誰もが知らない世界を自分たちだけで戦わなくてはならなかった。

 そんなイタリアの状況に、最初に手を差し伸べてくれたのは中国だった。3月13日のことである。人工呼吸器を含むたくさんの医療機器とともに、中国の医療チームがローマに降り立ったのだ。イタリアは北部を中心に中国との関係が深い。アパレル産業に関連する皮革製品や織物にも中国が大きく関わっている。イタリア北部と南部との間に経済格差があることは、連載第7回「イタリア封鎖までのタイムカウンタ」にも記したが、その北部の経済に一役買っているのが中国なのである。だからウイルスの蔓延も早かったのでは? という意見もあるが、これは憶測で話すことではないので何とも言えない。

 ただ、イタリア人と中国人の相性は悪くないように感じる。中国の「一帯一路」構想の覚書にイタリアが調印したのは2019年3月のことだが、それよりもずっと前からイタリアには中国が入ってきている。もう20年以上も前からとのことだが、今となってはかなり共存が進んでいるように思う。私は2019年12月にミラノに滞在していたが、中国人のコミュニティの大きさには驚くものがあった。チャイナタウンやその周辺だけではない。そことは方角も文化もまったく異なるエリアでさえ、中国人が経営するバールを見かけた。イタリア人も最初はきっと抵抗があっただろうと予測するが、団体ではなく個々で活動できる中国人が増えた今は、それほどでもないのかなという印象だった。

 中国・武漢から始まった新型コロナウイルスの最初の犠牲国となったイタリアだが、そのような関係でもあるので、助けられること事態不思議なことではない。しかもイタリアはG7加盟国。一帯一路を実現したい中国にとってイタリアは、すでに協力文書を交わしている東欧の国々や、ギリシャ、マルタ、そしてアフリカとの位置関係を考えても、絶対に必要なパートナーなのである。この頃の欧州各国は明日は我が身という状況で、自分の国のことで精一杯。イタリアに手を差し伸べられる余裕はなかった。イタリアは大袈裟にいえば、EUから見捨てられた状態だったのである。

 そして、もう一つ、イタリアにとって救世主となった国がある。白衣の軍団で知られるキューバの医師団が3月22日、ミラノのマルペンサ空港に到着したのである。国民一人当たりの医者数が世界で最も多いといわれるキューバ。彼らの医療技術や臨床研究、医薬品開発のレベルの高さについては、都内でバーを運営していた10年前に医療関係の方から聞いていた。世界のあらゆる伝染病や災害の現場にいち早く駆けつけてきた彼らが、ここイタリアにも足を運んでくれたのだからこんなに心強いことはない。緊迫した状態が続く北部の病院に、わずかながら光が差し込んだ瞬間だった。

 イタリアが封鎖されてからというもの、私はこれまで以上にニュースに目を向けるようになった。わからないことはイタリアの新聞をウェブで検索し、翻訳アプリを使って報道の内容と照らし合わせていく。この作業はいつものことではあるけれど、封鎖されてからもどんどん悪化していく北部の状況に、もっともっと向き合う必要があった。ロックダウン下での生活に必要な規則などは、イタリア大使館から出される情報である程度は確認できる。でも私が知りたいのは医学や科学に基づく情報だった。

 あらゆるメディアを検索した。Corriere della Sera、la Repubblica、BBC、Reuters、The Guardian、CNN、The New York Times、Le Monde、AFPBB⋯⋯。専門家が何か書いてはくれないかと、英語やイタリア語で気になる文を入力して調べたりもした。でも、私が知りたい情報は見つからなかった。言葉の壁が理由ではない。中国・武漢とイタリア以外に、この状況を経験している国がないからである。仮にこの状況がイタリアではなく米国や英国ならば、もう少し早く情報を入手できたかもしれない。でもそれらの国はまだ当事者ではない。それに医学的なことには研究が必要で、そう簡単にはわからないのだ。

 当たり前のことだけど、気になって気になって仕方がなかった。新型コロナウイルスには遺伝子的なものが関係するとしか思えなかった。でなければ何の説明もつかない。マスクがどうとか、ハグやビズがどうとか、土足文化がどうとか、もちろんそれも関係するとは思う。でもそれでここまでの差になるだろうか。衛生観念の指摘もあるが、今回は南部ではなく北部が感染の中心。ローマやナポリのような汚い街ではない。それにイタリア人は、意外に思われるかもしれないが綺麗好きである。これは北部だけでなく南部にも言えることだが、公共の場は汚れていても、家の中やバルコニーに関しては、正直、日本よりも掃除が行き届いている。とはいえエビデンスがなく、早く研究結果が出てほしいと願うばかりだった。

 なぜ、イタリアだけがこんなことになっているのか。何が正しくて何が間違っているのか。イタリアは今後どうなってしまうのか。きっと私だけでなく、この時期をイタリアで過ごした人なら少なからずそう感じたことだろう。一人で北部にでも居ようものならなおさらである。そんな国民の心情を予測するかのように、イタリア全土の封鎖について真心を持って会見したコンテ首相の言葉には、どこか胸を打つものがあった。その一つひとつに、国民の命をどうにかして守りたいという一個人の思いが込められていた。

 「イタリアに残された時間はもうありません」
 「イタリアの未来は私たち一人ひとりの手にかかっています」
 「これまでの習慣を変えなければなりません」
 「社会で最も弱い立場の人を守らなければなりません」
 「誰もがイタリアのために何かを犠牲にしなくてはなりません。たった今、まさに今、全員が協力し合い、この最も厳しい措置に順応すること。それが我が国を救う唯一の方法です」

 とても優しく誠意ある言葉だった。イタリア北部以外のまだ危険が及んでいない地域にも、イタリア語がわからない外国人の私にも、まっすぐに伝わってくる言葉だった。その2日後の3月11日に、コンテ首相はさらなる厳しい措置を発表したのだが、そのときの会見はイタリアにいる人々の気持ちをさらに一体化させた。彼はこの日、ドイツ人社会学者ノルベルト・エリアスの言葉を用いてこう語ったのだが、このスピーチはきっと後世へと受け継がれることだろう。

 「私たちは同じコミュニティの一員です。各個人が自分の犠牲だけでなく他人の犠牲からも恩恵を受けています。これこそが我が国の強みであり、ノルベルト・エリアスが言うところの『諸個人の社会』です」。つまり、個人のない社会も社会のない個人も存在しないということ。大学教授から首相になった彼らしい言葉のチョイスだった。そしてこの会見は、世界に感動を届けたあのフラッシュモブへとつながっていく。「皆で一緒に戦おう! きっとうまくいく」。イタリアの盟主は力強いフレーズと共に、この言葉を国民にプレゼントした。

“Rimaniamo distanti oggi per abbracciarci con più calore, per correre più veloci domani.”

今日は遠く離れていよう、明日もっと強く抱きしめあえるように
今日は動かずにいよう、明日もっと速く走れるように