連載『マイコビッドナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 新型コロナウイルスによる影響がイタリア全土に広がったのは、ナポリでの生活がスタートしてから6日目、3月5日のことだった。小中学校や高校、大学の一斉休校、サッカー1部リーグ・セリエAをはじめとするスポーツの試合はすべて無観客、映画館や演劇など人が多く集まる場所では1メートル以上の距離をあけるといった感染対策のための措置が、イタリア全土で導入されることになった。

 それまでは、美術館や博物館の無料開放日を停止するくらいで、イタリア南部の町ナポリでは、普段どおりの生活が行われていた。実際に2月29日の感染者数は13人、3月3日は30人と、北部にくらべると圧倒的に少ない。この数は州都のナポリだけでなく、カンパーニア州全体の感染者数である。ちなみに、すでに封鎖措置がとられているロンバルディア州の感染者数は、3月3日の時点で1,500人を超えている。

 一方、イタリア以外の欧州各国では、イタリア北部に滞在歴のある人から次々と感染が確認され、新型コロナウイルスはあっという間に各地へ広がっていった。欧州がいくら地続きとはいえ、早い。とにかく早い。日本では考えられないようなスピードで広がっていく現状に、これは中国どころではなくなるのではないか。私はこの状況からもう目が離せなくなっていた。

 その影響はすぐに日常生活へと広がり、フランス・パリのルーヴル美術館では3月1日、感染をおそれた職員が勤務を拒否。休館に追い込まれるというニュースが入ってきた。いかにもフランスらしいニュースで、これには逆に感心したのだが、同時にこのような動きが世界各国に現れることで、それぞれの国が持つ特徴がどんどん表立ってくるのではないか。良くも悪くも⋯⋯、そんなふうに感じて危機感を覚えた。

 そんななか、イギリスの航空会社ブリティッシュ・エアウェイズが、アメリカや欧州各国への運航を一部中止するというニュースが入ってきた。3月2日のことである。ヨーロッパの格安航空会社の代表ともいえるライアンエアーも、イタリア便を中心に減便を発表したが、どちらもこの時点では、3月中旬から2〜3週間にわたってとのことだった。一方、この頃のアメリカでは、トランプ大統領(当時)が「我々はよくやっている! 対策は万全だ」と意気揚々に演説していた。

 その後も、イタリアの感染者数の増加は著しく、私が滞在するナポリでも新型コロナウイルスを警戒する動きが見られるようになった。多くの観光客が訪れる歴史地区の入り口周辺で商売する人たちが、ほんの数人とはいえマスクをするようになったのだ。歳を重ねた露天商の人たちではあったものの、ここ欧州において自らマスクを装着する人がいることにびっくりした。感染が拡大している北部でなら理解できるが、マスクは病人のイメージが強いだけでなく、顔を隠すという行為そのものがテロへの警戒につながるからだ。

 新型コロナウイルスによるアジア人への差別を、ここナポリではじめて感じたのは3月7日。エルメスやルイヴィトンなどのハイブランドや、サルトリアが多く立ち並ぶキアイア周辺を歩いているときのことである。自らを洒落た男と勘違いしてそうなイタリア人の中年男に「うわ、チャイニーズだ。逃げなきゃ〜」と悪ふざけされたのだ。あまりにも阿呆くさかったのでとりあえず鼻で笑っておいたが、その日を皮切りに、このような悪ふざけがどんどん増えていった。

 多い日は一日に10件近く。アジア人を見かけないのでターゲットになってしまうのだ。その半数以上が子供ではあるけれど、腹が立つものは腹が立つ。5件目を過ぎたあたりからさすがに我慢できなくなった私は、「ちょっと君! 止まりなさい」と子供に説教するようになった。イタリア語はわからないけれど、そんなことはどうでもよい。イタリア語に近いスペイン語ならほんの少しだけ知識があるので、私はとりあえず英語とスペイン語をミックスしてその場に挑んだ。

 「あなたたちの国は今、中国の次に感染者が多いのよ。わかってる? そんなことも勉強できないなんて、頭大丈夫? ちなみに私、日本人だから。あなたたちのほうが危険だから、むしろ近寄らないでくれる?」と、こう活字にしてみると、私もなかなか大人気なくて頭大丈夫? と思うけれどまあよい。もちろん、相手は楽しくなってしまい、ふざけて中指まで立ててくる始末。終わりが見えないので、私も雪合戦方式でふざけながら仕返しを。あはは、大人気ない⋯⋯。

 しかし、子供ならばそれでよいのだが厄介なのは大人。例の中年男のように、やたらと男性が嫌がらせをしてくる。ある日のこと。スーパーマーケットでワインを選んでいたら、2人組の男性に「うわっ」とあからさまに汚い扱いを受けた。一度その場から離れた男性は再びワインを選びにやってきたのだが、私がまだいることで暴言を吐いてくる。そこで私はワインを選ぶふりをしながらその場に居座る作戦に出た。文句を言いながらわざとらしく。最後には相手が負けて「ワイン取っていいかな」となったので、「プリーズ、アイ ワァン」と笑顔で返しておいた。

 それにしても私は負けず嫌いである。とはいえ、気をつけなくてはならない。ナポリは一部ではあるものの、大人も子供も無知でふざけすぎるきらいがある。だからこのくらいで済んでいるとも言えるのだが、これは勝ち負けではない。「私の勝ちね」と対抗している場合ではないのだ。フランスやイギリスなどの欧州各地では、新型コロナウイルスによるアジア人差別の被害がすでに報告されている。お世辞にも治安が良いとは言えないナポリ。カモッラなどの犯罪組織に運悪く当たってしまうと最悪である。

 こうして私は、アジア人差別への対抗と自らの行動を反省しつつ、ナポリでの生活を楽しんでいた。しかし、イタリア北部の感染の広がりは歯止めがきかず、3月7日には全土で5,883人に、死者も230人を超えた。そして、3月8日未明、イタリアのコンテ首相(当時)が緊急の記者会見を行った。その内容は、ロンバルディア州全体とベネト州など北部14県に移動制限。ただこの時はまだ、葬儀やミサといった宗教行事を禁止したり、バールやレストランの営業を18時以降禁止するなど、封鎖というよりは行動を厳しく制限されるものだった。

※こちらのページに記載している新型コロナウイルスに関するニュースの時系列や感染者数は、NHKの新型コロナウイルス特設サイト在ミラノ日本国総領事館の新型コロナウイルス感染関連情報を参考にさせていただきました。