連載『マイコビッドナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 ゼエゼエゼエ⋯⋯、イタリア南部にあるナポリの町は坂がきつい。それにしてもアジア人をまったく見かけないが、私は大丈夫だろうか。ここで暮らしはじめて数日経つが、なんだか急に一昔前のヨーロッパにでも来たみたいだ。これぞ本当のヨーロッパ。異国の地で一人歩くアジア人。このような感覚は、15年以上前に旅した南米でも味わっていないかもしれない。

 そもそも私の暮らすエリアが大衆的すぎるのではないか。そう思って、観光客であれば間違いなく訪れるであろう旧市街のスパッカナポリや、卵城などがある海沿い、住んでいる人も歩いていそうなキアイア、ヴォメロ、ポジリポ地区にも足を運んでみたけれど、アジア人には誰一人会わないのだ。ナポリはピッツァ職人を目指す人や、ナポリ仕立てを学びにサルトリアで修行する人も多いはず。たまたま働いている最中なのか、本当にいなくなってしまったのか。

 アジア人の観光客やビジネス客がいないことは理解できる。2月に開催していたヴェネツィアのカーニバルやミラノのファッションウィークも、感染拡大の影響により最終日を待たずして切り上げとなったし、大きな顧客である中国は、そもそも渡航制限で参加できていない。この時期はイランやアジア各国のほうが感染者が多く、日本のメディアも参加人数を抑えるなどして対応していた。しかし、ここは遠く離れた南部の町ナポリ。イタリア北部を除けばアジア各国のほうが危険とされるタイミングで、あえて自国に帰ることを選ぶものだろうか。

 もしかしてあそこなら! と思った私は、ナポリのピッツェリアといえばの「アンティーカ・ピッツェリア・ダ・ミケーレ」にピッツァを食べに行ってみた。ここは行列ができることで有名な老舗のピッツェリア。地元の人は混雑を避けるためあまり行かないようだが、ナポリ以外のイタリア人も足繁く通う人気店である。たくさんの人で溢れていそうなランチタイムを避けて訪れたにもかかわらず、すぐそこにウイルスが忍び寄ってきているとは思えないほど混雑しているダ・ミケーレ。私はとりあえず整理券をもらい、その場で席が空くのを待つことにした。

 ダ・ミケーレの店内は広く食堂のような雰囲気で、テーブルと椅子が所狭しと並んでいる。ひとり客の私はもちろん相席。目の前に座るのは、蝶ネクタイを締めて洒落た格好をした同世代のシニョーレ。となりにはヨーロピアンのカップルが座っている。ダ・ミケーレのメニューは、マルゲリータとマリナーラの2種類のみで、私はマリナーラとビールを注文した。一足早く運ばれてきたマルゲリータを、姿勢よくリズミカルに口に運ぶ目の前のシニョーレ。どうってことはないが、悪くない展開である。

 しかし、こんなにも混雑しているダ・ミケーレの店内にもアジア人の姿は見当たらない。そこで私は、ここからほど近い、アフリカ系移民が多く暮らすガリバルディに足を運んだ。ガリバルディは、ナポリの中央駅周辺に位置するエリア。すると何やら気配を感じる。どうやら中国人か台湾人と思われる若い3人組の男性が、これからナポリをあとにする模様。やっと会えた。こんなにもアジア人を探したくなる日が来るとは思いもしなかった。私は急にイタリア語をペラペラ喋りたい気持ちになった。

 そんなこんなで、私のナポリ生活はスタートした。私がこれまでの人生で訪れた国は、日本を除いて34か国とそう多くはないけれど、都市で数えるならば150は超えている。だがこんな経験ははじめてだ。すでに貴重な体験をさせてもらっているが、スリのターゲットになりやすいアジア人。しかも、その標的は見渡す限り私一人。いつも以上に治安には気をつけようと気を引き締め直し、そそくさとその場を後にした。

 それにしてもナポリはナポリである。メキシコよりもメキシコで、そこにパリから抽出してきたダーティーな要素をプラスして、イスタンブールの雑多なエッセンスを加えたような、昔から何一つ変わっていないんじゃないかと思うくらいザ・ナポリ! ここはナポリなんだから当たり前だろうという声が聞こえてきそうだが、こういう場所は意外とあるようでないのだ。

 ドイツの文豪・ゲーテが『イタリア紀行』の中で引用した「ナポリを見てから死ね」ということわざがあるが、ここに来るとその意味がわかる。このフレーズは簡単に片付けられる言葉ではないので、それについては、また別のところでスペースを設けようと思う。ただ一つだけ先に伝えたいことは、私は来るべくして今、ここに来たということである。ゲーテが伝えたかったことが、今まさにこの地で発揮されようとしている。