連載『マイ・コビッド・ナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。
イタリアの死者数がとうとう1万人を超えてしまった。3月28日にはおよそ900人もの人が亡くなった。感染者数も9万人を超えた。ロックダウンから3週間が経過した今、少しずつ感染者の増加スピードに鈍りがでているとはいえ、深刻な事態であることに変わりはなく、死亡率は恐ろしいことに10パーセントを超えている。医療従事者や聖職者の死亡も相次ぎ、集中治療室のベッド数に余裕のあるドイツやルクセンブルクが、イタリア北部の患者を受け入れる事態にまでなっていた。4月3日までを予定していたイタリアのロックダウンはもちろん延長。私はアパートメントの手配、今回はおもに価格交渉に追われていた。
私が暮らすカンパーニア州でも3月31日時点で2,231人と感染者数は増え続けているが、ロックダウンの効果もあり北部のような状況には程遠い。ただ、イタリアの医療体制は北部と南部で格差があり、北部は他の先進国同様に優れているが、南部は貧弱であるため、これ以上の感染拡大は絶対に避けなくてはならない。ロックダウンが長引くにつれて市民の鬱憤は溜まる一方で、これはイタリアに限った話ではないが、家庭内でのDVが増えているという情報もある。ナポリなど南部の町では違法労働者も多く、失業手当がもらえない人もたくさんいる。教会による食糧支援や、市民による助け合いの精神で何とか食いつないでいるようだが、緊張が高まるにつれてマフィアなどの犯罪組織が絡んでくる可能性も示唆されており、北部とはまた別の大きな問題を抱えていた。
ナポリの街を見張る警察の数も心なしか増えてきており、彼らがいてくれる以上はある程度安全も確保されるが、大通りを一歩入ると警察はいない。ロックダウンになってからアジア人への差別がなくなったことは第12回の記事でも伝えたが、観光客が減ったことによりスリで生計を立てている人の食い口もなくなった。アパートメントの近くに位置する大通りには八百屋や肉屋があって便利だが、クレジットカードが使えない店も多い。セキュリティの面からもATMで現金をおろすことは極力避けたいし、どの店も人数制限を行なっていてその都度並ばなくてはならない。日用品を買いに行くだけでもこれまで以上に神経を使うようになった私は、5〜6日に一度、近所の中でも一番品揃えがよく、品質もある程度保たれているスーパーでまとめ買いをするようになった。
しかし、これが相当に大変であった。スーパーまでの道のりは行きはくだりで帰りはのぼり。しかも、私の部屋はアパートメントの最上階にある。日本の数え方だと6階にあたるが、階段が急で階高も高いので、感覚的には8階くらいの高さ。昔ながらの地域にあるアパートメントなので、もちろんエレベーターは備わっていない。そのため、マスクをした状態で重い荷物を抱えてのぼる坂道や階段は、何かの罰かと思うほどに苦しかった。
私は途中から重量のある品物のうち、どれを諦めるかという葛藤に苛まれるようになった。あまり料理が得意でない私だが、栄養を摂ることだけはやめてはならない。簡単に作れて栄養価も高いポトフには、しょっちゅうお世話になるので根菜類は欠かせない。パスタも簡単なので欠かせない。ビタミン補給も大切なのでオレンジも欠かせない。そして、何より欠かせないのがお酒である。私はもとより酒好きではあるが、ロックダウン下で暮らしている今、精神を保つためには本当に欠かせない。
あからさまにワインやビールの量は増えているが、東京で暮らしていた頃にくらべると圧倒的に減ってはいる。以前のような量を飲むことだけは避けなくてはならないが、そこはあまり気にしないようにした。この環境下において、食べたり飲んだりすることは唯一の楽しみ。このくらいは甘やかしてあげないと、本当に気が狂いそうである。しかし、これには一つ問題があってイタリアは瓶ビールが主体。缶もあるのだが、瓶のほうが種類も豊富で660ミリリットルと量も多い。しかも、1ユーロ前後で買えるのでお得なのだが、ワインも瓶、ビールも瓶となると重すぎるのだ。だがこればかりは仕方がない。私にとってワインやビールは生活必需品なのである。
そこで私は考えた。このアパートメントに引っ越したとき、たしか大家のジョバンナがここの水は飲めると言っていた。しかし今、この状況下でお腹を壊して病院のお世話になることだけは避けなくてはならない。私はやかんで水を沸かし、冷ましたうえで恐る恐る飲んでみた。何の問題もない。ということは生活必需品から水を省けるので、これはラッキーである。そんなに大変なら小分けして買いに行けばいいのにと思われるかもしれないが、スーパーに入るには毎回、他人との距離を1〜2メートルあけて、40〜50分外で待たなくてはならない。薬局に関しては、今では店内に入ることさえも許されておらず、小窓のポストから注文してクレジットカードを渡し、品物とレシートを袋に入れて持ってきてくれるというありさま。
スーパーから帰ってくるとウイルスを部屋に持ち込みたくないので、玄関に荷物を置いてまずはシャワーを浴びる。きっとこれは私だけではなく、イタリア保健省からのアドバイスや、SNSなどの情報から推測しても、イタリアで暮らす多くの人が実践していたのではないかと思う。というのもイタリアは、スーパーだろうが散歩だろうが、大人の外出は一人で行わなくてはならなかったので、外出した人が家にウイルスを持ち込むことにナーバスになっていた。たとえば、私の暮らすアパートメントでも、ロックダウンになってからは外出した人の靴が外に置かれるようになった。しかも、どの階の住民も皆そうしていたのである。
シャワーが終わると、今度は買ってきたものを一つずつ水で洗う。消毒が苦手なので、瓶類などはお湯で殺菌して拭き取り冷蔵庫にしまっていく。この一連の流れを終えてやっと休憩ができるので、できるだけ買い物に行く回数を減らしたくなるのである。それに、ロックダウンで外出できる人が限られているとはいえ、私が暮らすエリアは住宅街で人口が密集しているので、生活必需品を買うために多くの人が街を歩いている。家の中に閉じ込められているのは本当につらいが、いくら外出のきっかけになるとはいえ、たくさんの人とすれ違わなくてはならないので、これは正直、あまり気持ちのよいものではない。
さらには、このスーパーでの買い出しがいつも不安を連れて帰ってくる。マスクをして重い荷物を持ち、坂道や階段をのぼっているせいか、買い物へ行くたびに息が苦しくなるのである。この症状はだんだん長引くようになり、ここ最近は発症すると2〜3日は続くようになっていた。喉が乾燥したときに出すような空咳をしないと息ができなかったり、座って立ち上がったときにポンと何かが脳に上がるような感覚を覚えるようになった。熱や嗅覚の消失などはなかったので大丈夫だと思うが、しかしこうも毎回だと、コロナウイルスに感染したのではないかという不安がつきまとう。
もし熱がでたとしても、抗炎症薬のイブプロフェンを自らの判断で服用しないようにという注意喚起もあったので、持参した薬を飲むことはできない。きっと坂道や階段だけでなく、マスクによるストレスが同時にかかっていて、それで過呼吸のような状態になっているのではないか。そう判断した私は危険を感じ、アパートメントについたらマスクを外し、階段は息ができる状態でのぼるよう心がけた。そうすることで少しだけ楽になった。
イタリアではロックダウンになってからも違反者が相次ぎ⋯⋯というニュースがあるが、それを日本で聞くと、それは感染が収まるわけがないと思われるかもしれない。だがこの違反の数には、小さな子供のストレスを軽減するために家の周辺を少し超えて散歩してしまった人なども含まれる。他には、コピー機を持っていない人が外出のための自己申告書を印刷できず、手書きで書き写すことも困難な年配者が違反となるケースもあるだろう。ロックダウンがスタートした当初こそ、遊び半分で出かけていた人がいたのは事実だが、実際はそれだけではない。そのくらい、国民に課されたイタリアの規則は厳しいのである。
私自身も借りている家にコピー機などあるはずもなく、しかも何度も自己申告書の内容が更新されていくので、最初はスーパーに行くのに申告書を持ち歩いていなかった。私が暮らすサニタ地区の住民は年配者も多く、正直、皆が持ち歩いているとは思えない。警察も見回りはしているものの、この住宅周辺の事情はわかっているようで、この生活範囲内でいちいち申告書をチェックしている様子は見られなかった。警察が印刷した申告書を持ち歩いていたので、虚偽がないと判断されればその場で記入すれば問題ない。ただ、その判断はそのときの警察に委ねられる。しかも、数日前に違反や虚偽の申告をした人の罰金が最大3,000ユーロ(約36万円)にまで跳ね上がったので、さすがに恐ろしくなった私は、手帳を破って申告書の内容をイタリア語で長々と書き写し、カードケースに入れて持ち歩くようになった。
4月12日のイースターまであと一週間という頃になると、警察の見回りはより一層強化され、街中の検問の数が増えただけでなく、お昼前後には上空に警察のヘリコプターが飛ぶようになった。前述したとおり、私の暮らすアパートメントは高台の最上階に位置する。ヘリコプターまでの距離がすごく近いので、これには心が病みそうになった。轟音を鳴り響かせながら毎日のように上空を飛ぶヘリコプター。これこそ戦時下のような雰囲気で、しかも何度も旋回してくるものだから、じっとその場から立ち去るのを待つしかなかった。
もうすぐ、カトリック教徒にとって大切なイースターがやってくる。この一年で最も重要とされる復活祭を、イタリア人はどう過ごすのだろう。多くの人が動くことを考えて、ロックダウンの期限を4月13日まで延長した政府だが、この日も家族に会わず、外出制限を守って過ごすことができるのだろうか。生活必需品を買いに出かけない限り、家周辺を200メートルしか歩くことができない私たちは、どこまでこの状況に耐えることができるのだろう。すでにこの街には、そわそわモードが漂っているように感じてならない。