連載『マイ・コビッド・ナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 人間の散歩が許されないことを知った私は、気持ち新たに日々を過ごすことにした。ジョギングは可能という噂を調査することを忘れていたが、昨日の散歩では誰一人走っている人を見かけなかった。イタリアはさまざまなことを州が管理している。そのため、全土で外出制限ということに変わりはないが、細かなルールについては異なる場合がある。他の州では散歩もジョギングも可能だけど、ナポリのあるカンパーニア州では不可という可能性もあるのだ。

 海の空気を吸えたことで気分転換になった私は、今日からニュースを追いかけるのも程々にしようと思っていたのだが、ここ数日は、イタリア以外の欧州各地でも新型コロナウイルスが拡大していてまだまだ目が離せない状況。しかも昨日はイタリアの感染者数が3万人を超え、死者も2,503人になった。そして今日はさらに増えて、死者が2,978人になったのである。ウイルスの蔓延が抑えられていた南部でも徐々に数は増えており、私が暮らすカンパーニア州でも感染者数が200人を超えた。

 ロックダウンになってからも歯止めがきかないイタリア。その二の舞を演じないようにと、欧州各国では先手先手の対応がとられているが、同じラテン国であるスペインやフランスは、ちょうど一週間遅れでイタリアを追いかけているかのような状況で、心配な事態となってきている。先手を打つといっても、イタリア政府の対応も相当に早かったので出来ることは限られている。イタリア北部と国境を接するスイスやオーストリアではすでに措置がとられているが、それに続く形で国境を封鎖する動きもどんどん見られるようになった。

 スペインでは14日、早くも非常事態宣言を発表。フランスやベルギーでも、文化施設の閉館や学校休校、飲食店の営業停止といった措置はとられているが、見えないウイルスはその先を進んでいく。ここでも欧州ならではの利点を消し去り、自由を奪っていくのだ。東欧を中心に一部の国では、医療体制が持ちこたえるかの心配もある。チェコやポーランドでは、滞在許可を持たない外国人の入国が禁止になり、さらにチェコに関しては、国民だけでなく長期のビザを持つ外国人の出国までもが禁止となった。

 それでも、欧州の感染者数はどんどん増えていく。すでに非常事態宣言を発令しているスペインに続き、フランスやベルギーでもロックダウンを開始。そしてとうとう、欧州連合もEU域外からの入国禁止を発表した。その影響は大きく、もちろん欧州の航空便はほとんどが運航停止。サッカー欧州選手権は一年延期となり、自動車の生産もほぼストップという有様である。イタリアがロックダウンになった時点である程度は予測していたが、あの日からEU全体が封鎖になるまで約一週間。やはり欧州は地続きなだけに、思っていた以上に早かった。

 さらには、コロナ禍を乗り越えるための経済面での保障もどんどん打ち出されていく。なかでも北欧のデンマークやエストニアは、デジタル化が進んでいるだけあって圧倒的な早さで給付金が行き渡ったと記憶している。人間というのはある程度有事に対応できるようになっているが、たった一週間とはいえ先を進むイタリアの功績は大きい。欧州各国の代表はそのイタリアを見て勉強し、今は同様にロックダウンすることが最善であると判断した。その方法をすぐに導入せざるを得ないほどに、凄まじいスピードで広がっていくのである。

 アメリカが国家非常事態宣言を出したのもこの間で、医療体制の強化を可能にするためとはいえ不安しかなかった。アメリカは医療保険のシステムが他の先進国とは異なり、皆が同じように治療を受けられるわけではない。保険料も高額で保険そのものに加入していない人も多いので、ウイルスに感染しても負担額の大きさから病院に行けず、家で野垂れ死になる人が増えるかもしれないのだ。そうなったらアメリカはどうなってしまうのだろう。それがアメリカでもあるのだが、最悪のシナリオが頭をよぎる。

 時を同じくして、Appleが中国と香港以外の世界各地にあるすべての店舗を休業すると発表したが、これには現実を突きつけられる思いであった。中国から始まった新型コロナウイルスだが、今は紛れもなく欧州が最前線。この間に中国はしれっと復活を遂げようとしているのだ。しかも欧州のほうが中国よりも状況が酷くなっているのだから最悪である。これから感染の拡大が予測されるイギリスでは中国人の帰国ラッシュが起きており、上海までの片道航空券が270万まで高騰するも即完売。さすが今がバブルの中国。何もかもが、彼らの手のひらで踊らされているかのようである。

 その一方で、欧州のラグジュアリー企業は医療機関への寄付をはじめとする協力に動き出す。アルマーニグループ、ドルチェ&ガッバーナ、ブルガリ、モンクレールなどのラグジュアリーブランド、グッチやサンローランを傘下に持つケリンググループ、ルイヴィトンやディオールを傘下に持つLVMHグループなど、イタリアやフランスを代表する企業が香水工場を稼働して消毒ジェルを生産し、サージカルマスクや使い捨て医療用オーバーオールの製造も開始。このような協力の輪は市民の間にも広がっていく。

 高齢化社会のイタリアでは、スーパーマーケットに行くことすらままならない人も多い。私の暮らすサニタ地区もエレベーターなしのアパートメント、石畳の道、そして坂道の三重苦で、協力してくれる子供や孫が近くに住んでいるパターンが多いけれど皆がそうとは限らない。そんな人に向けてアパートメントの一階には住人の連絡先が貼られているのだが、そのメモにはこのようなメッセージが添えられている。「何かあれば遠慮なくこの番号に連絡を! 買い物も代行します」。この辺りはさすがカトリックの国。相互扶助の精神が当たり前に根付いている。

 もともとイタリアには「カフェ・ソスペーゾ」という習慣がある。これは第二次世界大戦中にここナポリで生まれた助け合いの文化で、生活に余裕のある人がそうでない誰かのためにコーヒー代を先に支払っておくというもの。今ではバールだけでなく、ベーカリーやピッツェリアなどにも広がっているが、ロックダウンになってからはそれがスーパーマーケットで見られるようになった。バールやピッツェリアが営業停止になったことで、寄付により助けられていた人たちが困ってしまうからだ。

 そのほかナポリでは少し先の話になるが、アーティストのアンジェロ・ピコーネさんが路地で始めた「連帯のテーブル」「連帯の籠」も話題になった。路上に置かれた折りたたみ式のテーブルや、バルコニーから吊り下げられた籠に食料を寄付することができ、その食料を通りすがりの困っている人が持って行けるしくみになっている。「可能なら何か入れて。無理な人は持って行って」と気軽なメッセージが添えられていることもポイントで、これによって重く考えずに行動することができる。その恩恵に与った人の中には、お礼にその場で歌を捧げる人もいて、そして、その歌に拍手を送る人たちがいる。もちろん、そのようなお礼がなくともその精神だけで幸せの循環になる。

 このような助け合いの精神は、イタリアだけでなく欧州各地で見られるようになるのだが、それだけでなく何を仕出かすかわからないのもラテン国ならでは。フラッシュモブもその一つだが、たとえばティラノサウルスの着ぐるみを着てゴミ出しをするスペインの住民に対し、ウイットに富んだ切り返しで注意をうながす警察。これはペットしか外を散歩できないというロックダウンの規則から生まれた発想で、まだこの状況に楽しみを見出し、警察も見逃す感情を持って接していた初期ならではの話である。とはいえ、警察がこのような動画をSNSに投稿することで笑いを提供できるのだから、これはこれで誰かを救えることだろう。

 新型コロナウイルスの感染拡大によりたくさんの人が命を落とし、家族との最後の別れにも立ち会えないイタリアだけど、こんな過酷な環境の中でも純粋な優しさだけは失われていない。それどころか、その優しさはどんどん広がっているように思う。ちなみにロックダウンになってからは、アジア人に対する嫌がらせも一切受けていない。ここナポリの私が暮らすサニタ地区でしか判断できないけれど、スーパーのレジを担当するシニョーラも、ロックダウンになってからのほうが優しい。もちろん、顔が知れたということもあるだろう。でも一番の理由は、ここナポリに根付く助け合いの精神からくるものだと私は思う。