連載『マイ・コビッド・ナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 今日は2020年3月22日日曜日。外は曇り空だった。朝からもの寂しさがつきまとう一日だった。私はメディアから離れて外を眺めながら過ごしていた。今やっている仕事が手につかなかった。最近の悲しいニュースに心が支配されて、仕事の文章が書けなくなっていた。その仕事と私の間に温度差がありすぎて、何度書き直してもどうしても詩的な表現になってしまう。私はここでの日々を何か形にすることがあるだろうとiPhoneのメモに書き記していたのだが、この日のメモをまとめるとこのような文章が残されている。

 乳母車にスピーカーをのせて音を鳴らしながら歩くおじさん。道を挟んだアパートメントの住人・シモーネ(仮名)は、通りすがりの友人と夢中になって話している。シモーネの両足に胴体を固定されて動けない愛犬のビーグルは、身動きがとれないながらも頭はきょろきょろ。自由にしてあげたいけれど、この道は住宅街で狭いわりに交通量が多い。ロックダウンとはいえ配達のバイクは通るのだ。そうだ、今日からこの可愛いビーグル犬をビグーと呼ぶことにしよう。ビーグルにビグーとは単純だけどこの子にぴったり。ビグーは迷彩柄のバンダナを胴に巻いててとってもオシャレ。

 洗濯物を干す斜め前のお母さん。一つ下の階のバルコニーでは夫婦が肩を並べて話している。窓から顔をだす右隣の住人。左隣の部屋では老夫婦がいつものように喧嘩中。下の階には昨日から干されたままのミッキーマウスが仰向けになって空を見つめている。イタリア人は綺麗好き。シーツは毎日のように洗うし、バルコニーの掃除も欠かさない。今日は曇り空だから少なめだけど、ロックダウンになってからは洗濯にも拍車がかかり、靴にカーテンにぬいぐるみにと、ありとあらゆるものが干されている。

 乳母車のスピーカーおじさんは、もう何度も周辺を行き来している。もしかすると彼は復活祭の四旬節の行事を一人で遂行しているのかもしれない。シモーネたちの会話に飽きてきたビグーはいつの間にか向きを変え、上を見上げながら尻尾を振っている。どうやら私と目が合ったらしい。そわそわしはじめたビグー。でもすぐにシモーネの両足に挟まれてしまう。シモーネは話に夢中になりながらも愛犬への意識は欠かさなかった。そんななか鳴り響く教会の鐘の音。そうか、今日は日曜日だからチャイムの音が違うんだ。キンコキンコキンコキンコ♪ ランチの時間がやってきた。 

 ランチにはいつも生野菜のサラダをつくる。ハムや卵も入れて栄養も満足度もたっぷりのサラダをパンと一緒に食べるせいか、毎回一杯だけワインを飲んでしまう。これは欧州に滞在中の私の定番ランチメニュー。イタリアやフランスではランチに一杯ワインを飲んだところで仕事に支障はない。日本では昼からワインを飲むとだるくなってしまうけれど、なぜか欧州だとだるくならないのだ。それどころか、気持ちテンションが上がることで逆に仕事がはかどったりもする。でも今日は、ワインを飲んだあともセンチメンタルのままだった。

 昼からもう一度書くことに挑戦した私はやっぱり書けなくて、また外を眺めながら過ごすことにした。そこにあるのは、どこからともなく聞こえてくる音楽とカモメだけ。ただただ静かに悲しみだけが流れていく。通りには白いスプレーで大きく「コロナ立ち去れ」と書かれていて、その上をバイクが通過していく。この文字は少し前にアントニオが書いたもの。その時も彼は空に向かって叫んでいた。「コロナ立ち去れ、コロナ立ち去れ!」神は本当にいるのかと訴えかけるような悲痛な叫びだった。

 昨日のイタリアの死者数は793人。たった一日で800人近くの人が亡くなった。所狭しとベッドが並ぶ病院は治療を受ける重症患者で溢れかえっていて、引退した医師や医学生までもが自らの命をかけて現場で戦っている。ロンバルディア州のベルガモでは24時間フル稼働しても火葬が間に合わず、教会に並べられたたくさんの棺に司祭が祈りを捧げている。軍用トラックが列をなして周辺地域の火葬場へと遺体を搬送している。イタリアはカトリックの国。現在は火葬も増えてきているとはいえ、元来、葬儀は土葬である。新型コロナウイルス以前からその土地が足りない問題は発生していたが、今はそれとは別の感染症という理由から火葬に変えざるを得ない。

 ベルガモは、最初に封鎖されたベネト州とロンバルディア州の11の自治体に入っていなかった。それが今では、感染者の多いイタリア北部の中でも最前線の町となってしまった。ベルガモから届く現場の生々しい映像を毎日ニュースで見ていると心がいたたまれなくなる。ベルガモの地元紙に21日に掲載された訃報欄は12ページにもおよび、めくってもめくっても犠牲者の名前と顔写真で埋め尽くされているのだ。そして、残された家族は最期のお別れもできない。ロックダウンの規則により、火葬に立ち会うことも葬儀を行うこともできないのだ。

 コンテ首相は、昨日の会見でさらなる厳しい措置を導入。生活必需品を扱う店の範囲も細かく限定された。テレワークができない工場などの通勤は認められていたが、今回は生産活動もすべて停止。通勤が許されるのも生活必需品に関係する限られた施設だけになった。公園は閉鎖され、自治体から自治体への移動も禁止。居住地へ帰還するための移動も、留学生や旅行者以外は禁止となった。健康上の理由から許されていたジョギングや犬の散歩は、単独で自宅周辺のみという条件がついた。その距離、200メートルまでという声も聞こえてくる。やはりこれまでは可能だったようだが、ナポリはきっと街の性質上、最初から取り締まりを強化していたのかもしれない。私はたった一日とはいえ、海の空気を吸いに2時間も散歩してしまった自分が恥ずかしくなった。だから今回の措置は何も思わなかった。目の前に流れてくる映像のほうがつらかった。

 この頃になると、フラッシュモブも公には行われなくなった。お祭り騒ぎのようなフラッシュモブは、亡くなった人やその家族への配慮に欠ける。それに、ベルガモをはじめロンバルディア州の状況を毎日見ていると、そんな心境になれない人が増えたように感じる。だから今は、各個人がバルコニーで歌を歌ったり楽器を演奏したりして、それをBGMに各個人が気持ちを委ねている。フラッシュモブというよりは、前回伝えた助け合いの精神に近いだろう。医療従事者に向けて送られる拍手のように、誰かを勇気づける行動につながるからだ。

 私が暮らすサニタ地区では、今日も誰かが歌を歌っている。斜め前に住む夫婦がバルコニーに出てきて、肩を寄せ合いながらその歌を聴いている。ときおり涙をぬぐう女性の肩にそっと手を添える男性の姿。歌い人の近くで共に口ずさむ人々、鳴り響く拍手。そこには笑みと悲しみが同時にあった。曇り空を飛ぶカモメはどこか寂しくて、今日は夕暮れの風も冷たい。明日の朝はきっと冷えるだろう。そこに流れてくるスタンドバイミー。この選曲にはメッセージを感じる。私のそばにいてほしい、信じて応援してほしい。そんな意味をもつ、ベン・E・キングのスタンドバイミー。

 私は涙が止まらなくなった。飲んでいるワインがいけないんだと急いでビールにチェンジした。どうにかしてこの悲しみから抜け出さないと免疫力が落ちてしまう。ただでさえ異邦人である私は、最悪の場合この部屋で死ぬことになるだろう。その覚悟はある程度できている。でも、だからこそ絶対に感染するわけにはいかないのだ。私は鍋を火にかけてお湯を沸かした。塩を入れて2人分を超える量のパスタをゆがく。ベーコンをカリカリに炒めて、ボウルに卵とパルミジャーノチーズと黒胡椒を入れて混ぜたら、茹で上がったパスタと絡めてできあがり。

 イタリアンビールとカルボナーラをとってもジャンキーな気持ちで飲んで食べて、無理にでもテンションを上げるのだ。今日はクロアチアの首都ザグレブでマグニチュード5.4の地震もあった。世界はいつどうなってもおかしくない。カルボナーラの後はクッキーを食べよう。そしたらきっとカモミールティーで落ち着きを取り戻せることだろう。スタンドバイミー、スタンドバイミー。明日はきっと晴れるだろう。明日は絶対に晴れてほしい。