連載『マイ・コビッド・ナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 2020年3月17日火曜日。イタリア全土に移動制限が出されてから8日目、完全なるロックダウンに入ってからは6日目の朝を迎える。私は文筆業という仕事柄、気がつけば家にこもりっぱなしなんてことは日常茶飯事。私のような引っ越し生活を送る人間はノマド=遊牧民と称されることが多く、そういう人はよくカフェで仕事をしているが、私はこれが非常に苦手である。文章のイメージをiPhoneにメモするなど何かしら考えたりはするけれど、その場でノートブックを開きカチカチやることができない。

 ノマドワーカーそのものに憧れてこの仕事を始めたり、旅がしたくて移動生活を選んだならばきっと可能であったと願いたいが、私の場合はそのどちらでもなく、安定した精神を維持したいがために引っ越し生活を続けているだけの人間。この暮らしになったところで訪れた国の数もあまり変わっていない。いつでもどこでも仕事ができる人たちを羨ましく感じることもあったが、今回ばかりはそうでない自分がプラスに働いたようで、ロックダウンになってからも普段の生活とあまり変わらないのである。

 取材に出かけることも許されていないので、そんな時こそ書くことに猛進! なんて気軽に考えていたのだけど、ロックダウンになってから約一週間が経過した今、歩きたくて歩きたくてしょうがないのである。正直なところこれは誤算であった。部屋にこもって仕事をすることに苦痛を感じなかったのは、何も制限されていない自由な環境下だったからであって、この制限された状況で部屋に閉じ込められるというのは、鍵がかかった小さな空間に放り込まれるような行為に近い。

 私にとって旅はもはや日常で、たとえるならば精神安定剤のような役割を果たしている。それも定期的かつ二種類の刺激を投与することが求められる。本やアートに触れることで得られる刺激と、知らない土地を散歩したり自然の中に身を置くことで得られる刺激。これを与えてあげないと私の脳は不具合を起こす。加えて何もしない時間も必要なのだから、なんて厄介な性格なんだろうとたまに自分を恨むが、引っ越し生活を始めてから新たな世界を意識しなくとも飽きることなくその場にあったので、その感覚をすっかり忘れていたのである。

 そこで私は、この一週間のモヤモヤした感情に決着をつけることにした。というのも、移動制限下での外出が許可される項目に健康上の理由というものがあった。これがどこまで許されるのか、ずっと気になっていたのである。ジョギングは可能という噂もあるが、スーパーマーケットまでの道のりでは、この健康上の理由で運動している人がいるのかどうか判断することができない。電車やバスで町を移動できるのは、持病を抱えているなど病院での治療を必要とする場合に限られているが、健康を管理する上で歩ける範囲を散歩すること。これはどこまで許されているのだろう。そろそろ息が詰まりそうで、可能ならば散歩したいのである。

 しかし、移動には自己申告書が必要で罰則もある。移動のための理由と虚偽がないことを宣誓した用紙を持ち歩かなければならない。それがである。私の家にはダウンロードした書類を印刷できるコピー機がない。しかも私が暮らすエリアは住宅街で、大家さんは離れたところに住んでいる。スーパーの近くで印刷に対応している店を見つけたのだが、メールを送ってもらうしか方法がわからないとのこと。しかし、この店のWi-Fiが繋がらない。私のiPhoneは現地の電波に対応していないので、内務省のサイトからダウンロードする方法を教えたのだが通じない。いやはや、どうしよう。

 でも、ここはナポリ。コピー機を持っていない人が皆、印刷屋さんに行くとは思えない。こうなったら警察には正直に説明するしかないので、どうせ危険を冒すならば、少し遠いけれど海が見える方向へ歩くことにしよう。そのくらい散歩の可不可を知ることは大切である。私は決行にあたってルートを定めた。滞在しているサニタ地区からメインストリートを使って一直線に歩いていくことにしたのだ。ここはひとつ、ナポリで暮らす人間に見せかけることも大切である。ただでさえ観光資源が失われているのだから、観光客が罰則の対象に選ばれる可能性は無きにしも非ずである。

 私はいかにも住民ですと言わんばかりの態度で、エンリコ・ペッシーナ通りをスタスタ進んだ。だがこの挑戦はそう甘くはなかった。まずはダンテ広場で「家に帰りなさーい」と警察に叫ばれる。「はーい」と答えて通り過ぎたが、分かれ道にはまた警察。ここはスルー。なんとなく右のトレド通りではなく、左のサンタンナ・デイ・ロンバルディ通りへと入ったのだが、しまった! この道は中央警察へとつながる。自ら危険を冒してどうするのだ。いや、ここは堂々と進もう。どこまで許されるのか知る必要があるのだ。

 中央警察の前はまったく問題なし。その少し先を右に曲がって、ガッレリア・ウンベルトⅠ世のアーケード、王宮へと進む。王宮の前のプレビシート広場には、カラビニエリ=軍警察が待機している。そこで私は呼び止められたのだが、なんだろう⋯⋯、憲兵の一人に「おまえ、ちょっと行って来い」みたいなことを先輩らしき人が指図している。事情聴取はされたものの目が笑っているので、私は足を伸ばす仕草をしながら「一週間歩いてないから運動が必要なの。海沿いまで歩いてもいいですか?」と訴える。「早く帰るように」と注意は受けたものの、これはオッケイということなのだろうか?

 最初の難関をクリアすることに成功した私は、そのまま海岸通りへと向かった。だが本当の難関はこの海岸通りだった。通り沿いに建つホテルかアパートメントの住人が、バルコニーから「歩くの気をつけて!」とジェスチャーを送ってきたのだが、そういうことか。たかだか10分ほどの距離を歩く間に3回も注意を受けることになる。パトカーが行ったり来たりと巡回しているのだ。そりゃ、この周辺には人がいないはずである。しかも、申告書を見せろとか住所を聞かれるとかではなく、今は外出制限が出てるから家に帰れの一点張りなのだ。

 これは只事ではない。警察は本気である。私はアパートメントの方向へ踵を返した。もちろん帰り道も「許可書は持ってるの?」「家に帰りなさい」の連続である。優しかったのは行きも帰りもカラビニエリだけ。今回の私の旅は往復にしておよそ2時間。警察だけで6回も注意を受ける形で幕を閉じたが、海の空気を吸えたことは本当に助かった。健康上の理由がどこまでなのかという目的も果たすことができた。結果は犬の散歩は許されているけど、人間の散歩は許されていないという厳しいものだったが、これも命のため。仕方ないのである。

 ここイタリアは、精神科病棟を撤廃することに成功した国。人間を一つの場所に閉じ込めることに疑問を抱いた国である。それもあって、イタリアのロックダウン下における健康上の理由というものがどこまで許されるのか。前述したようにこれは私にとって気になる案件だった。ロックダウン自体も、それだけ多くの人が短時間に亡くなっているからこそのやむを得ない措置であって、コンテ首相は相当に勇気いる決断を強いられたはずである。会見でノルベルト・エリアスの『諸個人の社会』を取り上げたことも、人権を大切にする国ならではの選ばれた言葉であり、彼はそれだけ国民というものを信頼したのではないだろうか。

 イタリア人は情に厚い。たとえば祖父母が孫に会いたいと願うならば、その気持ちのほうを優先させてしまう。でも多くの人間の命を守るためには、その感情を押し込めなくてはならない。いつもなら相手を想うがゆえの行動だが、その行動が命を奪ってしまうのだから、厳しい首相令を出して無理にでもストップさせるしか方法がないのである。それが南部の人間となるとなおさらなので、北部の移動制限を早急に全土に拡大したことには納得である。それだけイタリア人というのは優しい。世界で唯一、精神科病棟の撤廃に成功した背景には、その人間性が大いに関係していることだろう。

 イタリアだけでなく、多くの先進国が地域ケアや在宅ケアに切り替える努力をしているが、未だに収容・隔離に固執し、精神科病床数が30万を超える我が国・日本。しかも、この日本の精神科病床数は世界の20%を占めている。私は専門家ではないので詳しいことは言えないが、入院を必要としない人までもが入院させられていることだけは確かであって、それが何を意味するのか。そういう人権が無視された社会が裏にあることをもっと意識すべきであろう。私のこの考えは日本では間違っているのだろうか。ここナポリで過ごしていると、そう自問自答せずにはいられない。