2021年7月14日、フランスを代表するアーティスト「クリスチャン・ボルタンスキー」がパリで逝去した。ル・モンド紙の発表を受け、日本のメディアでもいくつか伝えられたため、知っている人も多いことだろう。

クリスチャン・ボルタンスキーは、ナチス・ドイツのフランス占領から解放された直後のパリで、1944年9月に生を享けた。ユダヤ系の医者である父の元には、ホロコーストから逃れた人々が次々とやってくる。耳を塞ぎたくなるような強烈な体験と思考を、幼い頃から聞いて育ったボルタンスキーは、その記憶から生まれた作品を数多く残している。

"L'artista francés Christian Boltanski" by Juan García is licensed under CC BY-SA 4.0
“L’artista francés Christian Boltanski” by Juan García is licensed under CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons

そこには自身の記憶だけでなく、両親やその他の人の記憶も含まれており、この世からいなくなった人々の魂をよみがえらせ、自然と共存していけるよう祈りを捧げているようにも感じる。常に死を意識し、人間の生きた痕跡を刻み込むかのように制作された作品を前にすると、生と死の境にある見えない時間に吸い込まれていくような、重たいけれど風が吹いてくるような不思議な感覚におちいる。

かと思えば、おびただしい数の古着で製作された『保存室(カナダ)』や『ぼた山』に代表される作品のように、死を直接連想させるものもある。特に『保存室(カナダ)』は、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れたことがある人なら、何処にも行く事ができない魂の叫び声をこの作品から嫌というほど感じるのではないだろうか。

この作品は最初にカナダで制作されたそうだが、アウシュビッツの第二収容所にある奪われた所持品を保管する倉庫を「カナダ」と呼んでいた経緯がある。当時のポーランド人にとってカナダは非常に豊かな国とされており、囚人にとって富の象徴だったからだ。ボルタンスキーは、だからこそこの作品をカナダで最初に製作したのだろう。強制的に死に追いやられた人々の魂を連れて、旅をするかのように。

そして、ボルタンスキーの作品の中で忘れてはならないのが「アニミタスシリーズ」だ。私にとってもこの作品との出会いは大きく、あらゆる指令をだす脳の細部に深く刻み込まれるような体験だった。アニミタスとはスペイン語で「小さな魂」を意味するが、これは死者を祀る路傍の小さな祭壇へのオマージュとして制作されている。風鈴を先端につけた細い棒を大地に突き刺し、日の出から日没までをワンカットで撮影した映像作品で、イスラエルの死海や香川県の豊島などいくつかシリーズがあるが、私はチリのアタカマ砂漠で制作された最初のアニミタスが特に印象に残っている。

"Animitas, Christian Boltanski" by sprklg is licensed under CC BY 2.0
“Animitas, Christian Boltanski” by sprklg is licensed under CC BY 2.0

アタカマ砂漠は、南米・チリ北部の太平洋とアンデス山脈の間にあり、ペルーやボリビアとの国境近くにまで広がる乾燥した大地。降水量が極端に少ないことでも知られており、それはそれは美しい星空が見られる。私がこの地を訪れたのは2005年、今から15年以上も前のこと。まだまだ怖いもの知らずだった20代前半、メキシコや南米を3か月にわたって一人、旅をした。現在のようにWi-Fi環境もなく、地球の歩き方や旅先での出会い、ネットカフェで数少ない情報を検索することだけが頼りの時代。私はボリビアのウユニ塩湖からアタカマに抜けるルートでこの地にたどり着いた。

国境付近のボリビアを含め、どこまでも続く荒涼とした風景にふと現れるピンクやブルーの湖、間欠泉。美しいけれど寂しい、そんな感情の狭間にあるこの光景は、サハラなどのいわゆる砂漠地帯とはまったく異なる。アタカマ砂漠への道のりは標高が高く、あまりに過酷なことから「死への道」と恐れられていたように、そこはまるで死後の世界にいるかのような、時が止まった感覚におちいるのだ。フラミンゴやビスカチャ、ビクーニャなどの動物が醸し出す雰囲気も、この世界との間にフィルターがかかっているような距離を感じる。

ボルタンスキーが、『アニミタス(チリ)』を制作したのは2014年。私がこの作品に出会ったのは、2016年の東京都庭園美術館での展示だったが、この映像をはじめて見たとき、当時アタカマで感じたあの妙な感覚にピタリとはまったことを記憶している。それは、ふわふわと空中を浮遊する細かなガラスの破片が、あるべき場所に戻ってきたかのようだった。

また、アタカマ砂漠には、19世紀後半から20世紀にかけて建設された多くの硝石工場で、先住民が過酷な労働を強いられてきた過去がある。その内の一つ、チャカブコにある硝石工場は、1973年に発生したチリの軍事クーデターの後、政治犯たちの強制収容所として使用され、さらにはピノチェト独裁政権下で犠牲になった多くの人々の遺体が埋められている場所でもある。当時の私はまだまだ無知で、この事実を知ったのはもっと後になってからだけど、あの時、アタカマ砂漠からアンデスを超えてアルゼンチンの国境に差し掛かったとき、なぜかホッとしたことを覚えている。

ボルタンスキーは、時間の経過とともに消えていくことを望んでアニミタスを制作しており、このシリーズを含むいくつかの作品を「神話」と呼んでいる。“私というアーティストや作品が忘れ去られるときがきても、この場所に居合わせた人々の記憶が語り継がれることで、巡礼の地として皆に受け継がれていってほしい”と。