連載『マイ・コビッド・ナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。
イタリア第三の都市ナポリには、ウィーン経由で到着した。2019年12月にミラノから帰国の途に就くとき、次の滞在先は南にしようと決めていた。その当時は、新型コロナウイルスがその後の世界を襲うことなど夢想だにせず、むしろパリで起きていたジレ・ジョーヌ=黄色いベスト運動のほうが深刻だった。オルセー美術館で開催していたオペラ座のドガ展に寄りたくて、パリ経由での帰国を計画した私だが、そのたった一泊の貴重なパリは、デモにより儚く消えた。
私は欧州を一つの大きな国に見立てており、西欧、東欧、南欧、北欧というよりは、歴史や文化的な観点からいくつかのグループに分けて考えるようにしている。特別な意味があるわけではなく、単にそのほうが面白い。そのグループは私自身の興味を反映して作ることもあり、そういうときは何か一つのテーマを追いかけたりもしている。イタリアやフランスといったラテン国を中心に、最低でもひと月は同じアパートメント=同じ町で暮らし、その町から通えない場所を取材したいときに移動する。
国を跨ぐような大きな引っ越しは3か月に一度。シェンゲン協定のルールがあるからだ。この暮らしを始めたころはホテル暮らしをしていたので、取材も兼ねて10日に一度のペースで町を移動していたが、やはり書くことに集中するには少なくとも1〜2か月は同じ場所にいたい。私は欧州に住所を持っているわけではないし、長期の滞在ビザを申請する気も今のところはない。ワーケーションのような概念にも興味がない。あくまで自分の精神を保つために文筆業をはじめ、自分の精神を保つために引っ越し生活を送っている。
とはいえ、文筆業という仕事は面白い。私が成人するまでに描いた夢は3つあり、お恥ずかしながらここで発表させていただくと、小説家、ジャーナリスト、ピアニストである。そう考えると、第二の人生に過去の夢にからんだ仕事を選択しているというのは感慨深い。これまでの人生で得たことを、これからの人生と共に何か発信しなくてはと考えるようになったこと。これも私にとっては大きかった。まだまだ挑戦の段階で、この才能が開花するか否かは神のみぞ知るところだが、人生100年時代といわれる今、またゼロから始めようと思えるものがあるというのは、我ながら素晴らしいことだと思う。
もちろん、この引っ越し生活は日本でも実行している。というよりも欧州は決まった国に滞在しているわけではないので、どこの国に一番いるかと聞かれれば日本である。仕事の取引先も住所も納税もすべて日本である。日本の歴史や文化は、世界的に見ても面白いし素晴らしい。私は日本に長くいると精神に異常をきたすだけで、日本という国を嫌いになりたくはない。この感情は歳を重ねるにつれて芽生えるようになった。厄介なのは、その相反する精神と感情が正比例していること。それだけである。
デジタル媒体が主流になり、バケーションレンタルなどのサービスが行き届いた現代社会だからこそ出来るこの暮らしは、私に新たな挑戦の機会を与えてくれた。どこでもドアのような役割を果たしてくれる日本のパスポートは信頼が厚く、そのおかげで私は不自由を感じることなく欧州と日本を行き来できる。入国審査が厳しいイギリスでさえ今は自動化ゲートで入ることができるし、アジアもアメリカもアフリカも、世界にあるほとんどの国を自由に飛びまわることができるのだ。だがそれも、新型コロナウイルスにより一変した。
今回の滞在先にイタリア北部を選択していなかったことは、私にとって幸いだった。もし北部にある町を選んでいたなら、出発直前にキャンセルを余儀なくされただろう。私が選択していた町は、南部に位置するナポリ。国境を接しているオーストリアやスイスのほうが、イタリア北部の深刻だった町とは距離が近い。欧州は国境を超えて通勤する人がたくさんいる。この周辺はスキーリゾートで知られるように気温も低い。私はイタリア南部よりも周辺の他国のほうが危険だと判断した。
2020年2月29日未明に羽田空港を出発したANAは、同日明け方、経由地であるウィーンに到着した。日本の感染状況から警戒されると考えていたが、入国審査はなぜか「久しぶり!」と日本語で挨拶されて無事通過。羽田空港の薄暗さとは打って変わって、早朝から人の動きがあるウィーン国際空港。乗り継ぎまでの時間が経つにつれてどんどん人も増えていく。オーストリアには覆面禁止法があるため、公共の場でのマスク着用は原則禁止されている。それゆえなのか、思っていた以上に普通だった空港の状況に私はひとまず安心した。
ウィーンからナポリまでは、格安航空会社のイージージェットを予約していた。この頃のアジアは、中国や日本だけでなく韓国でも感染者が急増していて、私を乗せたナポリ行きの機内にアジア人の姿は見つからなかった。シェンゲン協定の関係で、イタリアでの入国審査は必要ない。私は荷物を受け取り、空港近くの停留所から市内へ向かうバスに乗車した。今回滞在するアパートメントは、昔ながらのイタリアが色濃く残るエリアにある。オーナーから鍵をあずかり、私のナポリ生活はスタートした。