2021年9月21日、今夜は中秋の名月である。「今年の十五夜は8年ぶりに満月です」と、たくさんのニュースでにぎわいを見せているが、私は今日の今日まで、中秋の名月=中秋の満月に日付を合わせていると思っていた。旧暦の考えでいくとあながち間違いではないが、「十五夜の夜は餅つきするうさぎを見ながら月見団子」。この月見団子のイメージがそうさせていたのかもしれない⋯⋯。いやはや、なんとも単純である。

ということで今夜は、美しい満月の夜に相応しい月の神さま「月読命(ツクヨミノミコト)」と、その神を祀る伊勢神宮の別宮「月讀宮」についてお話したいと思う。ツクヨミは、黄泉国から生還したイザナギが禊で生んだ三貴子の一人で、イザナギの右目から生まれたとされている。古事記でお馴染みのアマテラスはツクヨミの姉、スサノオは弟にあたるが、この姉と弟のように古事記の世界をにぎわしてはいないので、目立った活躍を見ることができない。

Tsukiyomi-no-miya of Ise Jingu in Mie

なぜならツクヨミは、夜の食国を治める月の神さまといわれており、高天原を治める太陽神のアマテラスの光が邪魔して、昼間は地球からあまり見ることができないのだ。海原を治めるスサノオは、暴れん坊のため何かにつけて目立っているが、ツクヨミは太陽と月の関係を光と影に見立てているのか?   昼と夜の起源となった神話の日月分離で、アマテラスがツクヨミに怒り心頭になったことが原因なのか?   それとも、ツクヨミとスサノオが本当に同一神なのか?   このあたり諸説あるが、とにかくツクヨミについてはほとんど古事記で描かれていない。

そんな月の神さまだが、ツクヨミを祀る神社も日本にいくつかあることを忘れてはならない。京都にある松尾大社の摂社や、壱岐島の月讀神社、山形の月山神社などが有名だが、まず訪れておきたいのは、今回紹介する伊勢神宮の別宮だろう。伊勢神宮の別宮は、域内・域外合わせて14社あるが、ツクヨミを祀っているのはその中の2社。域外にある内宮別宮の月讀宮と、外宮別宮の月夜見宮である。

Tsukiyomi-no-miya of Ise Jingu in Mie
Tsukiyomi-no-miya of Ise Jingu in Mie

内宮別宮の月讀宮には、神明造の社殿が4社並んでおり、向かって右から「月讀荒御魂宮」「月讀宮」「伊佐奈岐宮」「伊佐奈弥宮」となっている。ここでお参りする順番は、もちろん月讀宮から。その後、月讀荒御魂宮→伊佐奈岐宮→伊佐奈弥宮と参拝していく。ちなみに外宮別宮の月夜見宮は、月讀宮と月讀荒御魂宮の二柱の神を、同じ一つの社殿に祀っている。

しかし、このツクヨミがこの世に生まれていなかったら、月の満ち欠けから暦を司ることができない。最初に太陰暦を用いたのは、メソポタミア文明をつくったシュメール人といわれているが、そこはひとまず置いておこう。ここ日本においては、ツクヨミに敬意を表することが大切だ。

Tsukiyominomiya of Ise Jingu in Mie

月を読むという行為は、現在の世界の目標であるサステナブルな社会の実現にもつながっている。なかでも有名なのが、自然派ワインで知られるビオディナミ農法だが、これはドイツの人智学者、ルドルフ・シュタイナーが提唱する有機農法の一種で、月の満ち欠けのリズムが大いに関係している。つまり、ビオディナミは土壌自体を生命体の一部として捉えているのだ。

日本における農業も、昔は月の満ち欠けが記載された旧暦カレンダーをもとに作業を進めていたが、このような時代のやり方は、現代社会にとてもマッチしている。サステナブルにはさまざな定義があるが、農業において最も大切なことの一つが、次の世代も同じ土壌を使っていけるよう、その土壌から除草剤や化学肥料を取り除いていくことだろう。

ツクヨミが教えてくれた月を読むという行為は、農業にも漁業にも、女性ホルモンにも、そして新しい命にも関係している。太陽神のアマテラスによりなかなか姿を見せてくれないツクヨミだが、中秋の名月という月の神さまが主役になれる今夜だけは、陰の立役者であるツクヨミを祝う時間にしてみたい。