京都という町には至る所に小さな町屋があって、21世紀を5分の1ほど過ぎた今でも、昔ながらの商売が当たり前に機能している。商店街も多く、その周辺には住宅がひしめき合っているので人の行き来もある。もちろん今はスーパーマーケットが主流であり、一部を除いて正直潤っているようには見えないけれど、内容によっては旅館や飲食店などの卸先、通販もあるので一概にそうとはいえない。
しかし、この職住一体の町屋からなる風景というのは何とも言えぬ風情がある。祇園白川や二寧坂など、観光エリアにある石畳の通りもよいけれど、少し離れた場所にある職人の町や地元ならではの通りのほうが、個人的には味があって好き。そんな中に、おかきや和菓子を販売する町屋がぽつぽつあるのだけど、そういう店というのは、駄菓子を買いにいく感覚で気軽に利用することができる。
有名、無名問わず、商店街の中に位置する和菓子屋もあれば、前述したように、商家として住宅街にたたずむ店も多い京都。住む場所にもよるとは思うが、ちょっと歩いただけですぐに見つかるものだから、小腹がすくとついつい購入してしまう。私がこれまでに長期で滞在した地区は北区、右京区、下京区の3つだが、どこも和菓子の購入には困らなかった。そんなわけで、私が楽しんでいる京都の日常その①は、小さな町屋といえばの和菓子である。
京都は何かにつけてフランスのパリと共通点があるといわれるけれど、この小さな商店のあり方に関してはイタリアに似ていると滞在するたびに思う。コロナ禍で日本にいることが多いため、少し前にも3か月ほど滞在していたが、この町の魅力というのは、観光スポットよりも日常そのものにあるのではないだろうか。
シェアサイクルも充実しているので、たとえば梅が開花したと聞けば、北野天満宮めざしてコキコキ、枝垂れ桜が開花したと聞けば、高台寺めざしてコキコキと移動を楽しむこともできる。途中で気になる和菓子を購入して、鴨川や京都御所で休憩するのも気持ちよく、コーヒーのテイクアウトにも困らない。とにかく観光エリアから少し離れた場所に拠点を設けるだけで、すべてが気ままなのだ。
その気ままというのは、もちろん私が外部の人間だから感じることであって、実際に住むとなると京都はご近所付き合いが大変だろうなとは思う。特に店を構えたり一軒家に住むとなると、そこに地域的な行事も加わるだろうし、ゴミ捨て一つとってもかなりの神経を使うことに違いない。
しかし、京都には気分転換をできる要素というのがとても多い。寺や自然に関しては別の日常で紹介するが、今回の駄菓子的な感覚で購入できる和菓子のように、そこには一つひとつコミュニケーションが存在する。そのコミュニケーションも、「今日はいい天気ですね」といったちょっとした会話ですむので気負う必要はない。
欧州の特にフランス、イタリア、スペインのラテン3国に滞在していると、まずはどの国でも挨拶から始まる。店に入るたびに、レジで順番が回ってくるたびに、「ボンジュール」「ボンジョルノ」「オラー」。そして、別れ際には、「メルシー」「グラッツィエ」「グラシャス」。くわえて「オウ ヴォアー」「チャオ」など、一日に何度もこの言葉を交わす。
これが実によい気分転換になる。この言葉を口にせず店に入るということは、失礼どころか不審者扱いにもつながるので、どんな場合でも、精神状態があまり良くないときでも必ず互いに交わすことになる。だからなのか、家に帰るころにはすっかり元気を取り戻しているということもこの国々ではよくある。京都のように商店が多いと、欧州とまではいかないものの、そうした気分を取り戻すきっかけをつくることができる。
京都はベーカリーや漬物屋も多いので、日常のちょっとしたものをスーパー以外で購入する癖をつけるだけで、日々が本当に豊かになる。そして和菓子は、季節を感じられる要素があるのも嬉しい。見た目も美しく、五感で楽しむことができるので、亀末廣や塩芳軒のような老舗の高級和菓子も時に必要だけど、出町ふたばのように気軽に購入できる和菓子屋だと、一つだけ欲しいときにも気兼ねなく足を運べてお財布にも優しい。だからこそ日常におすすめなのだ。ということで京都の日常その①は、駄菓子的和菓子!
次回へつづく。