連載『マイコビッドナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 中国の武漢で発生した新型コロナウイルスについて、日本で最初に報道があったのは2019年12月31日。翌2020年1月1日には、読売新聞が朝刊国際面の短信記事に小さく掲載。1月6日には厚生労働省のリリースで正式に発表され、各方面に向けて注意喚起が行われたが、まだこの時は原因不明の肺炎だった。

 私はこの日、フィリピンのセブ島にいた。2019年の12月中旬に滞在先のイタリア・ミラノから一時帰国することを知った友人から誘いを受け、急遽、年末年始をセブ島で過ごすことにしたのだ。とはいえ、そこまでバカンス気分だったわけではない。ひと月ほど滞在している間にも仕事をする必要があったので、正月以外は合間合間に休みを入れながら、割といつもどおりの生活を送っていた。

 どこにいようがニュースには目を通すため、この日もYahoo!ニュースか何かで確認しているはずだが、もう今となっては覚えていない。この武漢で発生した謎の肺炎に、新型ウイルスの可能性があることをWHO=世界保健機関が示唆したのは、その2日後の2020年1月8日。私の記憶があるのもここからで、SARS、MERS、鳥インフルエンザの可能性は否定されたものの、何か嫌な予感が脳裏をよぎったことを覚えている。

 それでもまだこの時は、のちの世界がこんな事になろうとは思いもしなかった。セブ島のモアルボアルの海はとても穏やかで、ただただ凪のように静かな時間がそこにはあった。同じ海を毎日眺め、同じ道を毎日歩いて帰るその日常は、小学生が夏休みの課題で描く絵のように、妙に懐かしさを覚える時間だった。

 その3日後の11日には、武漢に住む肺炎の男性が死亡。14日には、この肺炎が新型コロナウイルスであることをWHOが正式に確認。15日には、日本国内で最初のコロナウイルス患者が見つかり、翌16日、一斉にメディアが報道した。私もこの頃には日本に戻っており、今後の生活に必要な手続きを東京で済ませたあと、実家のある四国で荷物の整理をしていた。2019年に東京の家を解約してからそのまま欧州へ渡ったため、送った段ボールの箱が開けずじまいになっていたのだ。

 1月19日には中国の春節による大移動がはじまり、21日には中国でヒトからヒトへの感染が見られることをWHOが発表。23日には武漢が封鎖されたが、この時点でのWHOによる見解は、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態にあたらない」というものだった。25日には武漢で新型コロナウイルスの対応にあたっていた医師が死亡。すごく嫌な予感がした。

 時を同じくして、外務省の渡航禁止勧告が湖北省全域に拡大。これに付随して、日本の企業も対応の強化に追われた。さらには、武漢から出る公共交通機関の運行が停止されたことにより、湖北省全域が事実上の封鎖。1月27日には、現地にいる日本人を帰国させる方針を安倍首相(当時)が明らかにし、29日午前、武漢からの帰国者を乗せた全日空のチャーター機第1便が、東京の羽田空港に到着した。

 武漢への渡航歴がない人からはじめて感染が確認されたのは、前日の28日。奈良で観光バスの運転手をする男性だった。このバスツアーでガイドを務めていた女性も、のちに感染が確認されている。この頃には、京都や三重でも武漢に渡航歴のある人から感染を確認。日本でも不安の声が聞かれるようになった。その後も中国・武漢を中心に感染者は増えつづけ、30日には、SARSの世界全体患者数8,096人を上回る8,931人に。死者は200人を超えた。

 そして、2020年1月30日。WHOが「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。

※こちらのページに記載している新型コロナウイルスに関するニュースの時系列や感染者数は、厚生労働省のホームページにある報道発表資料NHKの新型コロナウイルス特設サイトを参考にさせていただきました。