連載『マイ・コビッド・ナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 年が明ける少し前から私を苦しめてきたものの一つに、欧州と日本のタイムラグがあった。ウイルスの蔓延やワクチン接種といった新型コロナウイルスに関連する事柄は、すべてにおいて欧州の方が早い。単純にウイルスが蔓延するまでのタイムラグだけが起こるのであれば、一番最初のパンデミック明けの夏のように、まだ少しだけ世界とかぶる時間帯があるのだが、今はそのかぶる時間帯もほとんどなくなってきている。それは新型コロナウイルスに適応するスピードが欧米を中心にどんどん速くなっているというのに、日本はその逆で、スピードが変わっていないどころかわざと遅らせているのかと思うほど、何もかもがトンチンカンなのである。

 中国の武漢で発生した新型コロナウイルスが、その後、欧米を中心に大変な事態となってしまった最初のパンデミックのとき、幸いにも大事には至らなかった日本。その後のデルタ株も大変ではあったが、この間にワクチンが普及して、今では感染はしやすいものの重症化することが滅多にない。欧州はこういった科学的根拠に基づいて、規制を緩めたり強めたりしながらその都度、臨機応変に対応してきた。でも日本はワクチンが普及してからも感染者数が増えていくことばかりに注目して、しかもこの二年間何をやってきたの? というくらい病院の体制も大して変わっておらず、以前から協力している病院の負担になるばかり。最初の段階できちんと怖がることができなかったせいなのか、人の意識もあまり変わっていない。

 日本に滞在している間ずっと人を観察してきたが、日本人は人がいないところ、たとえば一人で車の運転をしているときや、周辺に人がいない場所でもマスクをつけ、逆に人に対応するとき、たとえば玄関先で相手がマスクをしていない場合や、道端でバッタリあった知人がマスクをしていない場合などに、自らのマスクを外す人を結構見かける。そこで用心した相手がマスクをつけると、その人もまたマスクをつけるのである。なぜ? 相手がしていないときこそする必要があるのになぜ外す? 日本人は自分の頭で考えることが苦手なせいか、考える前に無意識に相手に合わせて行動しているように思う。それに車を運転しながらマスク。これは逆に危険だと思うのだが⋯⋯。酸素不足になって頭痛も起こしかねないし、なぜ皆それが気にならないのか不思議でならない。

 そして、感染者数が減ってきてもまずは様子を見るというこの日本の流れ。そうこうしているうちに次の波がやってくるので、自由な時間がどんどん奪われていく。それも昨年までなら理解できる。でも今年はどうだろう。ここまでくると、慎重というよりは変化していく勇気がないだけである。メリハリをつけることもできないから、日本人のもともとの性格も相まって、いつになっても人の目を気にしなくてはならず、その間にどんどんストレスが溜まって社会に適応できなくなって、発言に優しさがなくなって、変な行動に出る人まで増えてきている。

 ワクチンで免疫がつき重症化を防げている今、むしろ熱中症の方が危険なこの夏においてもマスクをするかしないかで揉めている。どちらを重視するかは自分で判断すればよいだけなのに、相手に判断を求めすぎる。特に子供は危険で、他の感染症の免疫がつかなくなる心配もあるというのに、自分や子供の身体よりも周囲の目線ばかり気にして、それをお得意の相手を考えての行動という意見にすり替えて納得させている。しかも、工事現場など炎天下で働く人々に対してまでマスク強要とは、この国の人々の思考はどうなっているのか。海外と同じようにする必要はない。でも今の日本は大切なことの優先順位すら判断できないということである。

 それだけ日本は止まったままなのである。新型コロナウイルスという、一生のうち一度も経験することがないような大きな変化の時代においても、世の中をどんどん変えていけるような人間がトップに選ばれず、むしろ変化を好まない、停滞したままでいたい人間がそこらじゅうにいて、そりゃ多くの才能が海外に逃げていくはずである。世間一般の意見に右へ倣えできない人を排除し、若者を大切にしない日本。そんな国に明るい未来などあるのだろうか。新型コロナウイルスによってこれまで以上に自由を奪われていること、それが知らず知らずのうちにいかにたくさんの人を苦しめているのかということをもっと認識しないと、この国からどんどん優しさがなくなってしまう。

 さらには、年明けに発生したロシアのウクライナ侵攻。もちろんいきなり発生したわけではなく、じわじわとこの時をプーチンは狙っていたわけだが、これにはもう、自分の人生を諦める寸前であった。タイムラグだけでなく、今度はそもそも飛行機が飛ぶのか問題まで出てきて、最初はこの攻撃が、欧州にまで飛び火することも考えた。ウクライナの人々を思うと、私の停滞している人生なんてどうってことないのだが、でも人間はそうやって比べたところで自分の悩みが軽減されるわけではない。これはまた別の問題なのである。むしろウクライナの人々の方が、アドレナリンによって目の前のことに対応できている可能性がある。考えている暇などないからである。

 人間とはなんて愚かなのだろう。自分の精神がどんどん崩壊していく。小さな頃から弱みを見せるのが嫌で、家族の前ではずっと強がってきたけれど、それは今でも続いているけれど、その思いとは裏腹に涙が込み上げてきて、何度もご飯を中断し、席をたたなければならなかった。犬が飛んできて、震える私の腕に自分の腕を伸ばしてくる。ある時は数日にわたって言葉も出なくなり、何かを頑張って発しようとするとまた涙が出てくるので、ずっと黙って過ごしたこともあった。父の発言にもいつも以上に敏感になってしまうので、お酒で父の気分が変わる前に席を立ち、すぐに気分が変わってしまう時にはにっこり笑ってそうだねと頷き、余程でない限りすべて父の味方になり、とにかく私は自分を律することに徹した。

 新たな仕事を探す気にもなれなかった。書くことは続けるし書いてもいるのだが、生活費のために書くという行為はこれ以上はできないと思った。この仕事は相当な時間と労力を要する。完璧主義になりがちな私は、その仕事に対しても完璧であろうとしてしまう。それで本当に書きたいことへの時間が取れなくなるのであれば、それはやるべきことではない。そもそも私はうまく手を抜けるような器用な人間ではないし、意味のない下積みに時間を使えるほど若くもない。それ以前に、自分の性格上不向きである。ただ、書くこと以外の人生の経験には時間を使ってきた。それならばもう、自分を信じて前に進むしかないのである。

 そもそも新型コロナウイルスの影響で、これまで書いてきた実績がすべて消えてしまった以上、もうその過去はなかったも同然。これまでの仕事の内容に疑問を抱いていた部分もあったので、これはもうあなたには向かない案件だから、これからは別の書きたいことを書きなさいと言われているようなもの。そう都合よく解釈した私は、名義を変えて新たな活動を始めることにした。このエッセイもその一つである。自分の精神に限界を感じて、引っ越し生活とライターを始めた私だったが、今ではこの仕事が好きだし、この仕事以外はもう考えられないのである。わがままで極端かもしれないが、基本、書きたいことを書いて生活できないのであれば、この仕事だけを選択する意味などないのである。

 そこで私はピアノを売却した。姉のために祖父が購入したものだが、祖父はもうこの世にはおらず、このピアノは私のものになっていた。姉はとっくのとうに辞めていたし、そもそも私以外に弾く人がいない。邪魔だから売却していいかと両親には何度か聞かれたのだが、私にとってこのピアノは本当に大切なもの。これまでは売る気など一切なく、今のように動き回ることができなくなる老後の楽しみとしてとっておきたかった。しかしそれも、ロシアによるウクライナ侵攻で考えが変わった。新型コロナウイルスや地震などの自然災害だけでなく、この世が今後どうなるのかなんてもう誰にもわからない。いつか見知らぬ誰かの手によって破壊されるくらいなら、今、自分の手でお金に変えよう。活動資金として有意義に使おう。そう思ったのだ。

 それにこのピアノには価値がある。もし私が早々と売却を許可していたなら、両親はよく皆がやるように、コマーシャルに流れてくるようなその辺の業者に見積もりをお願いしたに違いない。しかしそれだと、このピアノは安く見積もられてしまう。価値あるピアノはどこに売却するかによって金額に差がでる。それを知っていたので、そんな簡単に売却することなど考えてほしくなかった。私は少しでもこのピアノが報われるよう、あらゆる業者に問い合わせた。修理も配送も自分でやり、個人と直接やり取りできるならそれが一番良いけれど、ピアノの売却にあたって生じる手間とリスクは結構重い。実際にその辺の業者でも見積もってみたのだが、結果は数倍の差。私はこれまでのマイナス分をプラスに変えて、欧州と日本を行き来する生活の再開へと駒を進めた。

 金銭的に余裕のない私にとにかく無駄は許されない。新型コロナウイルスにより、日本と欧州を結ぶ国際線のほとんどが通常運航に戻っておらず、いまだ停止している路線も数多くある。それに加えて、今度はロシアやウクライナ上空を飛べないという危険極まりない大きな問題。欧州と日本を結ぶ国際線は、北回りや南回りといった昔のルートに変更することでその問題を解決したのだが、それでも欠航はしょっちゅうで、変更を余儀なくされた人がまた次の予約を入れてを繰り返している状況。燃油サーチャージは大幅に値上がりし、マイルを利用する方が損するような価格になっていた。

 私はイタリアへと戻るため、確実に運航するであろう南回りのルート、しかもアジア経由の便を探すことにした。なぜなら、日本からイタリアへの直行便は新型コロナウイルスによって今も停止したまま。普段マイルを使う場合は、ウィーンで格安航空会社に乗り換えるのが個人的には一番なのだが、そのウィーンへの直行便も停止したまま。パリやロンドンは、ウクライナの問題で大幅に減便。同じくその影響で、ANAのドイツ便がウィーン経由で運航することになり喜んだも束の間、これは燃油を補給するためで乗客が降りることはできないという。デンマークを経由する便が比較的安かったのだが、これは時間がかかりすぎる上に確実性もない。

 そこで、私が目をつけたのがシンガポール経由。シンガポール航空は、普段から燃油サーチャージがかからない。アジアにおける国際線のハブ空港でもあるシンガポールは、今のウクライナ問題から考えてもルート的に影響を受けないので需要があるはず。しかも、ANAの提携航空会社なのでマイルが使える。ローシーズンであれば損をするが今はレギュラーシーズン。そこまでの損にはならない。この選択は完璧だった。航空券以外にかかる税金などの費用は、日本の航空会社の何分の一だろう。往復で一万円台と破格だった。乗り換えがあるので時間はかかるが、それも許容範囲。今は直行便だろうが遠回りなので、むしろ空港に一度降りて休憩できた方が楽なのではないだろうか。

 私はこの連載の初回で、日本と欧州を行き来する生活の再開目標を3月から5月に設定した。しかし、途中でイタリアやフランスは、カフェに入るなど普段の生活にもワクチンのブースター接種が義務付けられ、これまた日本とのタイムラグに苦しめられた。出張や旅行であれば、滞在中に数回検査を受けてその用紙を提出すればよいけれど、私のような長期滞在者にはそれはかなりの負担である。最初はもう無理だと諦めかけていたのだが、私が暮らす地域の市長が、高齢者以外にも6か月でブースターを受けれるよう変更してくれたおかげで、一気に事が運び始めた。接種券も2回目から6か月を待たずと届き、私はすぐにモデルナの予約を入れた。ファイザーとの交換接種のほうが効き目が強いようだし、人気のないモデルナは、ファイザーより一週間も早く予約を入れることができた。

 設定した目標にぎりぎり間に合った私は、5月半ばにイタリアへ飛んだ。この頃にはもう、普段の生活でグリーン証明書を提示する必要はなくなっていたが、大事なのは、できるだけ重症化を避けること。だからそれはそれで問題ない。イタリアは公共交通機関でのマスク着用が義務付けられており、それはこれを書いている今でも変わらない。しかも、飛行機や州間を移動する列車などは、FFP2マスクでなければならない。今回はウクライナの影響もありミラノから入ることになったので、ロックダウンの時期を過ごしたナポリへは少し経ってから向かうことになるのだが、大家のジョバンナは再会をとても喜んでくれた。暮らしていたサニタ地区は何も変わっておらず、アントニオもマーラも健在で、でも犬のビグーとシモーネを見かけることだけは一度もなかった。

 新型コロナウイルスがこの世を襲って、2年半の月日が経とうとしている。過酷な日々だったが、最初のロックダウンをイタリアで経験できたこと。そこでイタリアの人間社会を学べたこと。これは私にとって本当に大きかった。精神の波は今でもあるけれど、これは一生のことだと思うのでその都度考えていくしか方法はない。新型コロナウイルスで失ったものは、それはもう必要のないものか、望むのであれば、同じ形でなくとも取り戻すことは可能であろう。それに紆余曲折はあったけれど、父との関係を見直す努力ができたこと。年が明けてからはずっと皆と一緒に食卓を囲めたこと。こんなに嬉しいことはなかった。私はこれまでのトラウマを、乗り越えることができたのである。

 それに私は今、一人ではない。姉や妹と連絡を取り合える仲になれたのも、欧州と日本を行き来する生活を始めたからであり、東京で暮らしていた頃は、彼女たちでさえ年に一度の帰省時にしか話をしてこなかった。この関係が、実家で暮らすうちにより強固なものへと変化したように思う。それだけでも父と母には感謝しなくてはならない。なぜならもう一度言うが、私は生まれて初めて今、ひとりぼっちでないと思えているからだ。すでに90を超える母方の祖母が、私に笑顔が戻ったと喜んでくれている。それまではもう酷いも何も、特にこの暮らしをする直前は病みしか感じられない表情だったそうだ。その頃の記憶が私は少し抜けている。その当時に初めて犬とも出会っているのだが、そんな重要なことさえも記憶にないのである。

 あとはもう一度、日本で暮らせるようになること。次はここを目標にしたい。欧州と日本を行き来する生活を、ずっと続けたいともずっと続けられるとも思っていない。一つの場所で、できることなら日本でもう一度、私は居場所を作りたいのである。日本は世界から見ても特別な場所。歴史も文化も、日本ならではの美しい場所もたくさんある。だからこそ、皆が自分の意見も人の意見も大切に、平和な国ならではの真に優しい国であってほしい。そして、日本のトップになる人間は、未来に変化を求めない世間の支持率ばかり気にするのではなく、批判されても結果、皆を説得できる人間であってほしい。人に自分のイライラをぶつけることでしか先を見出せない人が多くなってしまった今の日本に、一刻も早く本当の自由が戻ってくることを願っている。