連載『マイ・コビッド・ナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 イタリアのロックダウンが一部緩和されたことにより、私はナポリの中央警察署まで行かなくてはならなかった。それには、れっきとした移動のための自己申告書が必要だったので、まずは営業を再開した印刷屋さんを探す必要があった。これまでは手帳に手書きで内容を書き写し、それを破って持ち歩いていたのだが、またこの長文をイタリア語ですべて書くのは勘弁してほしいと思っていた。すると、インターネットサービスを提供していると思われる小さな店を近所に発見したので、私はとりあえず入ってみることにした。店内の奥では、会社の代表らしき人物がデスクに座って仕事をしていた。

 「ボンジョルノ、シニョーレ。ここで印刷のサービスはやってる?」
 「していないけど、インターネットならできるよ」
 「インターネットは必要ないの。移動のための自己申告書をコピーしたくて」
 「この辺りなら大丈夫だよ。スーパーや散歩に行くのに申告書なんていらないよ」

 やはり、サニタ地区の住民は自己申告書など持ち歩いていなかったか⋯⋯と、私は心の中で感心した。

 「うん、この辺ならね。でも少し離れたところに行くから」
 「大丈夫だよ、気にするな。ちなみにどこに行くの?」
 「中央警察に行くの」
 「まじか、それは必要だな」
 「でしょ?」
 「これ、あげるよ」

 シニョーレはテーブルの上に埋もれていたロックダウン初期の申告書を私に渡してくれた。

 「ありがとう。でもこれは古くて使えない」
 「大丈夫だよ、気にするな」
 「だって警察だよ。罰金取られたら最悪だし」
 「確かにそうだな」

 私は最新版の申告書をiPhoneのメモにダウンロードしていた。Wi-Fiが繋がっていればメールで転送できるのだが、しかしこの店が何の店なのかいまいちよくわからない。インターネットはできるというが、ただの会社かもしれない。これだけ会話しておきながら急に慎重になり始めた私は、印刷のサービスはしていないとシニョーレが言ったにも関わらず、シニョーレが仕事で使っているコピー機があることだけは判明したので、ここは一か八か、プライベート的な感じでお願いしてみることにした。

 「シニョーレ、申し訳ないんだけど、私どうしても今すぐ申告書が必要で、最新版の申告書をシニョーレのパソコンからダウンロードして印刷してもらうことはできる?」
 「もちろんさ。でも僕、URLがわからないんだ」

 でた! ナポリあるあるである。ロックダウン初期に訪れた印刷屋さんもそうだったが、なぜか皆、頭にある方法が一つだけで、キーワードを入力して調べようとしないのである。これは面倒だから言い訳として使っているのか、それとも本当にその方法しか知らないのか。実際のところはわからないけれど、私はこんなこともあろうかとURLをメモしておいたので、なかば強引に内務省のホームページを検索してもらい、「ここ押して、次ここ押して」と申告書のページへ誘導することに成功した。

 「ありがとうシニョーレ! 本当に助かった」
 「どういたしまして」
 「もう一つお願いがあるんだけど、プラス2枚コピーしてもらえる? 別の日にも必要なの」
 「もちろんだよ」

 素晴らしきシニョーレ。めんどくさがり屋なのか親切なのかわからないけれど、優しいことだけは確かである。私はお礼に代金を支払うと伝えたのだが、「このくらい大丈夫だよ」と受け取ってくれないので、「これはあなたの優しさに対するチップだからエスプレッソでも飲んで」と、これまた強引に1ユーロだが受け取ってもらった。

 私は大切な書類を置くためアパートメントへ戻った。これで堂々と警察署に行くことができる。とてつもなく図々しいお願いを聞いてくれたシニョーレに心から感謝しながら、私は一人、ビールで乾杯した。それにしても誰かと話せることがこんなに嬉しいだなんて。ここナポリは、ミラノやローマにくらべて英語があまり通じないので、シニョーレが英語を理解してくれたことも嬉しかった。

 次の日、私は中央警察署へと向かった。実は私のビザはとっくに期限が切れていて、それについて相談する必要があったのだ。イタリアは、ロックダウンになったことにより免許やビザの更新に延長の措置が取られていたのだが、私のビザは観光にのみ適用されるシェンゲンビザ。いわゆる学生や就労で滞在するためのビザではない。このシェンゲンビザは更新ができないので、通常ならばオーバーステイは許されない。しかし今回は、このビザに関してもふわっと許されている状況で、欧州連合も各国に対して、出国時に期限の切れたビザに対して大目に見るよう求めていた。ただそれを判断するのは、それぞれの国のそれぞれの空港の入国審査官。日本のように皆が同じ対応ではないので、場合によっては大変なことになるのである。

 しかし私は、この厳しいロックダウンをイタリアで経験してきたので、イタリアやその他欧州がロックダウン明けにどう変わっていくのか、それを見届けたい気持ちがあった。できることなら、飲食店や美術館が再開したときに、イタリア人と共に喜びを分かち合いたかった。そのため、今回はその空港職員の判断を信じることにしたのである。もちろん、在イタリア日本国大使館などにも相談し、私のようなケースもなんとなく許されていることの確認だけは、メールという文章が残る形でとっておいた。

 その他の理由でも、私は日本に帰ることを躊躇していた。海外からの帰国者に対する誹謗中傷が恐ろしいことになっていたからである。しかも、帰国者の特定までもが行われているというのだからびっくりである。それだけでなく、スーパーなどに日用品を運ぶドライバーや、通販などの配達業者にまで容赦ない言葉が浴びせられ、他県のナンバーをつけている車や、新型コロナウイルスによる影響からやむを得ず実家に戻った人、さらには医療従事者に対してまで嫌がらせ。そうでなくとも、たまたま田舎で感染してしまったがゆえに村八分にあい、自殺までしてしまった人など、新型コロナウイルスに感染するよりも恐ろしいと感じる現状が、毎日のように日本から届けられていたからである。

 日本に戻っても移動生活である私は、ホテルや民泊を転々としなくてはならない。欧州のように長期滞在者に向けたサービスが充実しているわけではないので、価格も考慮すると物件は限られる。正直、ビジネスホテルに泊まったほうが日本は安い場合が多いのだが、私のように精神の安定しない人間が、窓のない、または開かない小さな空間に一日中閉じ込められるのは不安でしかない。それなりの価格で宿泊できる民泊も、今は地方は避けないと誹謗中傷が恐ろしい。もちろん、実家に帰ることもできない。だからこそ、私はできるだけ欧州にいたかったのだ。

 とはいえ、イタリアのロックダウンが緩和された以上は不法滞在扱いとなる。新型コロナウイルスによってビザの期限が切れている人間は、長期ビザのように延長できるものでない限り、一刻も早く国を出なくてはならない。在イタリア日本国大使館からも、ロックダウンが緩和されたらビザを管轄する警察署の窓口が再開するので、一度行って相談するよう言われていた。そんなわけで私は中央警察署まで向かっているのだが、警察だろうが何だろうがとにかく歩けることが嬉しくて、とてもいい気分だった。警察署はアパートメントから20分ほどの距離だったのですぐに到着したのだが、なんと、どうやらビザは管轄の場所が違うらしい。

 警察署の入り口に立っている見張りのシニョーレによると、ここから遠く離れたイミグレ専門の警察署=入国管理局にまで行かなくてはならないとのこと。教えてもらった場所をGoogleマップのオフライン機能で見つけることはできたのだけど、私の移動申告書にはもちろん中央警察署までとしか書かれていない。しかも私はペンを持ってくることを忘れてしまった。普段から家で仕事をしていることもあり、外はいつも手ぶらで歩いているので、今回は歩けることの喜びが勝ってしまったのか、そこまで気が回らなかったのである。

 しかし今はコロナ禍なので、ペンを借りることは互いによくない。私は超早足で入国管理局へと向かった。距離的にはバスかメトロに乗るべきだけど、警察が巡回しているとちょっと困る。幸い歩きたい気持ちだけはどこまでもあったので、40分かけて歩くことにした。しかしである。到着すると入り口で「今日はもう終わりだ」と言われたのである。「そんなはずはない。何時までなの?」と聞くと「コロナで1時間早く閉まる」という。時計を確かめるとまだ30分以上も時間が残っていたので、「それは困る。私はすごく急ぎのすごく大切な相談がある。営業時間は中央警察でさっき聞いてここにきたのだから通してください」と少し嘘を混ぜて主張した。

 英語が通じなかったので、Google翻訳でイタリア語に訳して抗議すると「わかったよ、ちょっと待ってろ。英語を話せる人間を呼ぶから」と、中国人の女性を連れてきてくれた。私はパニックになると時々言葉が出てこなくなるし、ざわついたところだと相手が何を言っているのか聞き取ることができないので、念のため、これまたiPhoneのメモに、英語とイタリア語バージョンで伝えたいことをすべて書き記しておいたのだ。担当してくれた中国人の女性はとても優しい人で、まずはメモに目を通し、パスポートをチェックして、その後は親身になって相談に乗ってくれた。

 「今、チェックしてきたけど、確かにあなたはオーバーステイね。ロックダウンが緩和されたから、一刻も早く日本に帰らなくてはならないわね」
 「ええ、わかっています。でも日本に帰りたくないの」
 「どうして?」
 「日本は今、海外からの帰国者に対して陰湿な嫌がらせが起きていてコロナより怖い。私は日本に家を持っていないし、実家に帰ることもできない」
 「まあ、それは大変ね。でもイタリアからは出なくてはならないわ」
 「もう少しでいいの。もう少しでオーストリアが国境を開放してくれそうだから、そうすると日本との二国間協定を使ってオーストリアに入ることができるかもしれない。だから今月一杯でいいからイタリアにいさせてほしい」

 なんとも意味不明なお願いだが、背に腹は代えられない。私は今回、新型コロナウイルスという状況が心配される中での入国にあたり、ビザの期限を考えて、シェンゲン圏にはオーストリアから入国していた。なぜならオーストリアは日本と二国間協定を結んでおり、シェンゲン協定よりも効力が強い。もしもシェンゲン圏でビザの期限を超えて滞在が必要になったとしても、オーストリアでなら6か月滞在することができるのだ。この効力を活用するためには、シェンゲン圏にオーストリアから入国する必要があるのだが、私はこの条件をもちろんクリアしていた。

 「それはいい考えね。それがベストだわ。まずはオーストリア大使館に相談してみて、可能なら空港で何か言われたときのために手紙を書いてもらうといい。とにかく早めにね」
 「ありがとうございます」
 「でもあなた気をつけるのよ。ロックダウンは緩和されたけどあまり外は出歩かないで。警察の検問にあったら、あなた捕まっちゃうんだから」
 「え! あの、ここに相談にきたというサインを貰うことは?」
 「それが出来ないのよ」
 「じゃあ、たとえば街中とか空港で『ノー』と言われたら、私はどうなっちゃうの?」
 「逮捕されてここに戻ってくるのよ。おかえりーって出迎えてあげる!」

 彼女は手を広げて、誰かを抱擁するときのような仕草をしてみせた。マスクで目しか見えないけれど、きっと満面の笑みで⋯⋯。

 「そんなー!!!」
 「だから今日帰るときも気をつけるのよ」
 「うう⋯⋯」
 「ではまたね。いや、または良くないわね。気をつけてね!」

 これは困った。大変だ。私は何のためにここに来たのだろう。しかも、警察である彼女に「警察に気をつけてね」と笑顔で返されるだなんてさすがイタリア。彼女は中国人だけど、中国人は結構フランクだし、もはや彼女はイタリア人みたいなものである。ナポリの中央駅を通り過ぎ、ガリバルディのアフリカ系移民たちに「チャイナー」とたくさん手を振られる中、そういえばコロナ禍でも依然として後を絶たないアフリカからの移民をどう隔離するかで、イタリアは頭を悩ませていたことを思いだしつつ、私はまたもや超早足で、今度は1時間かけて帰路を急いだ。

 無事、家に到着した私はとりあえずビールを流し込み、ほっと一息ついたも束の間、在オーストリア大使館にメッセージを送った。しかし結果はノー。今は二国間協定もなにも、長期滞在ビザまたは就労のためのDビザを持った人しか入国できないとのこと。完全に希望を絶たれた私は、すぐさまスカイスキャナーのアプリへと飛んだ。とにかく捕まる前に出国しなくては。以前ならシェンゲン圏以外に出ればいいだけの話だったのに、今はどの国も国境を閉じている。悲しいけれど、もう昔のような自由はどこにもないのだ。