連載『マイ・コビッド・ナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 ロックダウンがさらに3週間延長されてから、私は何かを悟ったかのような毎日を過ごしていた。諦めとも慣れともとれるそんな空気ではあるが、ここは悟りを開いたと信じておきたいのが正直な感想である。文房具店や本屋、新生児や幼児に必要な衣料品店の営業が認められるようになったので、心なしか人の動きが出てきたようにも感じるが、それはきっと気のせいであろう。復活祭という一大イベントが終わり、初夏らしい陽気な気候も続いているので心穏やかになれる、そんな安定した日々であった。

 私の部屋から見えるベスビオ山は、今日もベスビオ山としてそこにいてくれるのだけど、ときにこの光景が恐ろしく感じることは前回の記事でも伝えた。ばーんと視界の開けたナポリの街並みに、ときに無を感じるからからである。そこにカモメだけが「クァー、クァー」と鳴きながら飛んでくるので、そこに吸い込まれるかのように、魂だけが飛びこんでいきそうになるのである。これもまた自然の脅威と言えるのだが、やはり人間はどんなときでも自然には敵わないのであり、人間が外に出られない今、その外の世界を動物たちが占領し、本来の地球の姿を楽しんでいるのだから、これまたいろいろと考えさせられるのである。

 そこで、私はベッド脇のサイドテーブルに置いたままになっていた一冊の本を開いてみた。イタリアがロックダウンになったとき、なぜ私はこの本を持ってきたのだろうと不思議に思いつつも、開くことなく放置されていたグレイス・ペイリー『最後の瞬間のすごく大きな変化』。文春文庫から発売された、村上春樹による翻訳本であるが、この本を最初に読んだのはかれこれ15年ほど前になる。当時の私には少し難解で、というよりもペイリーの文章の癖に慣れるまでに時間を要した記憶がある。その記憶が、この本を再度手に取るにあたって躊躇させていたのかもしれない。

 しかし、今回ロックダウンが3週間も延長されて、何かを諦めたかのような感覚が私に芽生えてきて、急にその本が目につくようになったのである。ページを開いてみると短編集で、それさえも忘れていたのかと呆れつつも、15年前とは違ってすらすら入ってくるその内容に、私は一気に夢中になってしまった。ペイリーはフェミニストで、作家以前に社会運動家でもあるのだが、人種や階級、犯罪などの日常が抱える社会問題を背景に、ときに鋭くもあくまで自由に紡がれていくペイリーの物語は、大人になった今の自分と、現在の時代の価値観が重なるからこそ、すらすら入ってくるのかもしれない。

 先に断っておくと、この本の内容がアルベール・カミュの『ペスト』のように新型コロナウイルスと重なることはまったくない。何か思うことがあるとすれば、この『最後の瞬間のすごく大きな変化』という本のタイトルが、今の状況と少し重なることくらいである。収録されている短編の一つに使われているタイトルでもあるのだが、その内容と重なることも決してない。だからこそ、考えさせられるのである。なぜなら人は、ときに何かしらの困難に直面する。その背景には、新型コロナウイルスのような大きな問題が潜んでいて、その大きな問題は知らないうちに私たちの日常に浸透してくる。コロナ禍で生活するにあたってのズレや違和感のようなもの、そうした感覚こそ、この本を読むためのヒントになる。

 私は日本を離れるときに、この本に対して何かしら感じることがあってトランクに忍ばせてきたのだけど、ロックダウンからひと月と半分が経過して、ようやく今、何かがつながってきたように思う。それが何なのかははっきりわからないけれど、ここナポリに来るべくして来たことだけは確かである。そして4月26日の夜、長かったロックダウンをどう緩和していくのか、全体的な解除に向けての段階的な方針をコンテ首相が発表した。それはワクワクするとかではなく、どこか不思議な気持ちであった。長い入院生活から退院するときのような、少しばかり不安を覚える感覚であった。

 コンテ首相が発表した首相令は、まだまだ規制の続く以前の生活にはほど遠い内容だったけれど、人の密集を避けて対人距離を1メートル以上確保し、マスクを着用すれば散歩ができるようになる。同じ州内で暮らす家族には、少人数とマスク着用を条件に会いに行けるようになる。飲食店のテイクアウトが可能になるなど、最低限の自由が戻ってくる嬉しい内容であった。それでも、日本の緊急事態宣言による規制の内容に比べると桁違いに厳しい。しかし、欧州の中でさえ最も厳しいロックダウンを経験したイタリアにいる今、すごく自由になれるような気がした。

 今後も外出のための自己申告書は携帯しなくてはならないし、州をまたいでの移動も禁止。小売店や美容院、博物館などは閉まったままだけど、製造業や建設業、卸売業、農業などに従事する人は活動を再開することができる。仕事によっては、まだまだ我慢を強いられる人がたくさんいるとはいえ、どの家庭も皆、この会見をテレビで見ながら喜びを噛み締めたことだろう。イタリアはわりと早い段階で「CuraItalia」という法令を発令していたので、労働者の就労・所得の保護や、個人事業主への給付金、生活困窮者のためのお買い物券発行、ローンの一時停止などさまざまな補償が受けられる。国で定められたもの以外にも、それぞれの州がプラスαの補償を打ち出しているので、イタリアは厳しいながらもなんとか立ち直っていくことだろう。

 そして、ついにやってきたロックダウン緩和の日。2020年5月4日のこの日の朝に私が見たものは、人間の放つエネルギーであった。いつものように朝起きて寝室の窓を開け、ベスビオ山とナポリの街並みを見下ろすと、昨日まで静止していた多くの建物に、新たな息吹が吹き込まれていたのだ。これは何も私の頭がおかしくなったとか、強風でゆらゆら揺れているとかそういうことではない。それまで誰もいなかった建物の中に人が入ることで、その建物にエネルギーが加わったのである。もちろん距離があるので、建物の中や道路を歩く人間の姿をここから見ることはできない。だからこそ、これには驚いたのだ。昨日まで静止したままの、ときに恐ろしくも感じていたこの世界が、人間の放つエネルギーで動かされているのだから。

 人間は大きな問題を抱え、つらさを感じ、もうどうしようもなくなったとしても、いつか変化が生じ、その瞬間からまた新しい人生がスタートする。まさしくそれは『最後の瞬間のすごく大きな変化』であり、イタリアにいるたくさんの人が、今日という特別な日にこの大きな変化を迎えられたのである。この記念すべき素晴らしい一日を、私は深く心に刻み込んだ。生きることは素晴らしい。生きていることが素晴らしい。新型コロナウイルスで犠牲になったすべての人々の魂とともに、私たちはこの日を迎えられたことを忘れてはならない。