連載『マイ・コビッド・ナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 イタリアのロックダウンが3週間延長になったことで、私はまた大家のジョバンナにアパートメントの交渉をしなくてはならなかった。前回の延長時には、価格交渉こそすんなり受け入れてくれたものの、それ以外に支払う料金のことでトラブルがあった。それにはシステム側に支払う料金も含まれていたので、私は価格交渉をするにあたってあらかじめその内容を伝えた上でジョバンナから了承を得ていたのだが、なんとジョバンナはその部分を理解していなかったのだ。最終的には、システム側がコロナウイルスによる特別な扱いとしてその金額を負担してくれたのだが、そこに至るまでには互いにかなりの労力が必要だった。

 そのような出来事があったので、ジョバンナが私に心温まるイースターのメッセージを送ってくれたことがとても嬉しかった。このトラブルは聖週間より前に解決していたとはいえ、やはりそこにはカトリック教徒ならではの許しがあったように思う。当時、イタリアには医療従事者などのボランティアが続々と到着しており、一時的に滞在するために宿泊施設を提供する必要があった。しかも今は、ホテルや飲食店が閉鎖されているので、自炊できるアパートメントでなくてはならない。このような部屋を提供している人はナポリにもたくさんいるが、システムの管理上、ボランティアの人がジョバンナの部屋を即決で予約したならば、彼らが優先されてしまう。

 新型コロナウイルスにより、これまで以上の衛生管理も求められるようになったので、新たな予約が入った場合、ジョバンナは短い時間でその手配もしなくてはならない。私は私で、日本に帰らない以上は移動が許されていないので、これまた互いに急ぐ必要があった。ジョバンナ側の気持ちで考えると、通常より安く部屋を提供するより他の人に貸したほうが商売的にはよいだろう。でも彼女は、私が日本に帰国する気がないことを知っているので、私が生活できる部屋がなくなることだけは避けなくてはならないと、利益よりも私の今後を優先してくれていた。

 そのため、今回の延長時には「チコ、とにかく確保しなさい」と同じ条件で急かしてくれた。私もイースターを挟んだことにより生まれ変わらなくては意味がなかったので、ここは素直に従った。しかも私は、先回りしてシステム側にも交渉しておいたので、今回はすべてスムーズであった。前回や前々回は、私の後に予約している人のキャンセルを待たなくてはならなかったので、それも頭を抱える問題の一つであったが、今回は予約している人がいなかったので、ロックダウンの期限よりも長めにアパートメントを確保することができた。

 それに私は、この部屋が気に入っていた。エレベーターのない階段生活は相当に負担であったが、それをも超える魅力がこの部屋にはあった。それは、朝も昼も夕も美しいベスビオ山を、寝室の窓から眺められることであった。およそ2000年前の火山噴火により、古代ローマ都市=ポンペイを壊滅に陥れたあのベスビオ山である。ドイツの文豪・ゲーテもこの山を甚く気に入っていたようだが、彼は遺跡や美術、自然のマニアであったので、私とはまた違った視点からこの山を見ていたに違いない。彼の著書である『イタリア紀行』の中でも、ベスビオ山に危険を承知で登ったことが記されており、ナポリを去ってからも、ベスビオ山の絶頂から海に向かって熔岩が流れ出ていることを見逃したことに、後悔の念を抱いていた。

 私はナポリに到着するまで、ゲーテの『イタリア紀行』についてすっかり忘れていたのだが、まだロックダウンに入る前の3月上旬に、本の中にも出てくる有名なフレーズ「ナポリを見てから死ね」の情景を見に行ったとき、当時、ゲーテが抱えていた悩みから解き放たれていく時間を見たような気がした。あのような景色はそうあるものではないので、ドイツ人であるゲーテがそう感じたのも理解できると思っていたが、その考えは浅はかであった。ロックダウンになってから、このフレーズがそんな簡単な感情では片付けられないことを、毎日、朝昼晩、アパートメントの窓からベスビオ山を見つめるたびに、そう感じるようになっていった。

 なぜなら、ロックダウンによって部屋に閉じ込められた生活を強いられる中で、私の一番の心の支えとなったのが、このベスビオ山と空飛ぶカモメの存在だったからだ。サニタ地区の愛すべき住民を、愛すべき存在だと思えることも、このベスビオ山があるかないかでは、何もかもが一転していた可能性がある。ときに恐ろしさを感じることもあったけれど、この雄大な眺めがそばにあるからこそ、心を落ち着かせることが可能であったし、朝焼けや夕焼け、青空、曇り空、雨、風、月、それぞれが、さまざまなベスビオ山の姿を見せてくれるので、まさにこれは芸術そのものであった。

 私の寝室から見えるベスビオ山は、ナポリの町と山からなる光景がばーんと開けた視界に入ってくる。早朝はそこに羽を広げた大きなカモメが窓に向かって飛んでくる。「ナポリを見てから死ね」の光景はこれに海が加わるので、この景色を見たい場合は、サニタ地区とはまったく別の方向にあるポジリポ地区に行かなくてはならない。もともとこの言葉は、イタリアの“Vedi Napoli e poi muori!”ということわざからきており、ゲーテはそのことわざを引用したに過ぎないのだが、彼はこの美しい景観以外にも、ナポリの人々の温かさを含むこの街すべての魅力をこの言葉を使って表現している。

 また、このことわざが持つ意味には二つの由来が残されている。一つ目は、前述したようにナポリの美しさを見ずして死ぬことはできないという情景を謳ったもの。そして二つ目には、ナポリの寓話が関係している。その寓話によると、ナポリは昔、愛に苦しむすべての人が癒しを求めにやってくる特別な土地であった。その痛みを忘れさせてくれるほどの魅力がナポリには存在したからだ。しかし、その場を去るときになると、人々の記憶に刻まれた痛みが再燃してしまう。その痛みはどんどん大きくなり、生きる意味を失い、彼らの多くは死ぬまで苦しまなくてはならなかった。

 そこで、どんな種類の呪文も使える魔女ラジエラが、あまりに傷ついた彼らを救うために、自らの身体と魂、魔法を捧げる。ラジエラは、自らの魔法の力が強すぎるがゆえに誤解を生み、周りから闇だと恐れられていたのだが、本来は自分のエネルギーを他人に与えることのできる心優しい女性だった。ある日、ラジエラは血のように赤い液体=過去の辛い記憶を消せるワインを調合し、見知らぬ不幸な人々にグラスを提供する。すると愛の痛みに耐えかねていた彼らは、魔法にかけられたようにすべてを忘れてしまう。それはまるで死にかけているかのようだった。つまり、生まれ変わることができたのである。何が言いたいのかというと、この「ナポリを見てから死ね」ということわざが持つ意味は、「ナポリを見て、死んで、そして生まれ変わる」というのが本来、意味することなのである。

 この寓話には、カトリックの国ならではの思想を感じるが、ゲーテもまた、この言葉が持つ深い意味を知っているからこそ、この美しい情景を見てそう発信したのではないだろうか。イタリアを旅する以前のゲーテは、シュタイン夫人との肉体を伴わない愛に行き詰まっていた。夫人にはゲーテと結婚する前に7人の子供がいたので、彼女はゲーテとの肉体関係を拒否し続けたのである。その他にもゲーテは、生計を立てるために必要だった政治家の仕事に限界を感じていた。ワイマールに越してからはますます政務に追われ、本来、詩人であるゲーテは、ほとんど創作活動ができなくなっていた。精神的にも限界を感じたゲーテは、イタリアを旅することでだんだん自分を取り戻していくのだが、そのなかでも、ローマとナポリ、シチリアの存在は大きかった。

 イタリアは総じて思いやりのある人が多いが、ナポリには、景観や自然、絵画、気候など、生活や娯楽に必要なすべての要素がそろっており、人生の喜びを日々感じることができるのに、人間が高飛車でなく素朴で純粋なこと。他人に対して心からの思いやりがあること。この美しい心にゲーテは感動したのだ。そしてこれは、ゲーテがイタリアを旅した18世紀からずっと変わらずナポリにあるのではないかと思う。私自身、ロックダウンになってからはさらにそれを感じるようになった。そして、このベスビオ山とナポリの海岸が織りなす素晴らしい光景は、そうした感情すべてを包み込んでくれるのである。つまりは、私がロックダウンで経験してきたことも、アパートメントの窓からずっと眺めてきたベスビオ山があってこそ、すべてが成り立つのである。