連載『マイ・コビッド・ナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。

 今は復活祭前の聖週間。イエス・キリストと使徒たちの最後の晩餐を記念する聖なる木曜日からは特に重要で、イエスが十字架にかけられた聖なる金曜日と、墓中にいた聖なる土曜日は教会の鐘の音が鳴らない。私は欧州で生活するようになってから、この鐘の音と共にある暮らしがいかに人間らしくいさせてくれるのかということに気づき、引っ越しするたびにこの音を意識して生活するようにしている。私はクリスチャンではないが、今回、このような伝統ある祝日を信仰が色濃く残るナポリで、しかも、信仰を重要視する昔ながらのイタリア人が多いここサニタ地区で迎えられることに、興奮を隠せずにいた。

 もちろん今はロックダウン中なので、例年の聖週間とはまったく違う。だからこそ感覚を研ぎ澄まし、細部にまで目を凝らすこともできる。ここ最近はメディアを追いかけることに疲れて、ほどほどに調整できるようにもなってきたので、意識を遠ざけるために何気ない日常に目を向けるようになっていた。サニタ地区で暮らす人々は個性が強いので、昼間からワインを片手に彼らを見ているのは本当に楽しい。きっと「あのアジア人はなぜ今もいるんだ?」「たまたま運悪く、このコロナのタイミングで引っ越してきたのかしら?」などと噂されているとは思うけれど、滞在している間にどこまで認めてもらえるのか、それも楽しみである。

 そう考えてみると、そわそわしているのはイタリア人だけではない。イースターとは何の関係もない、信仰を持たない私までもがそわそわしている。先月行われた特別な祈りに感銘を受けた私は、聖週間である今週も生中継で流れてくるバチカンからの映像に目を凝らしながら、ここでしか味わうことのできないこの感覚を存分に刻み込んでいた。私はまだ十代だった頃から、教会という場所に不思議な縁を感じてきたが、自然と祈りを必要とする状況のイタリアに今、身を置いていることもあり、これまで抱いてきたものが何かに向けて動き始めているような感覚をこの場に感じていた。

 この地で暮らす人々を見ていると、シンプルに生きるということがいかに大切なのか。地域社会はどうあるべきなのか。それを実現するためには、人間の根本たる部分に家族の絆がいかに必要であるか。そんなことを考えさせられる。私自身、家族という存在に常々悩まされてきたので、今後も自分の家庭を持ちたいとは思っていない。だけど、切り離すことが難しいのも家族であって、いまだにどう向き合えばいいのか苦悩の連続である。私はサニタ地区の愛すべき住民たちを窓から眺めながら、ときに真剣に、ときに微笑みながら、いろいろな想像を掻き立てていた。

 路地を挟んで斜め前の一階の部屋には、電化製品の修理を生業とするお馴染みのアントニオが住んでいて、狭い通りを結構なスピードで駆け抜けていくバイクに「こらーっ!」と怒鳴りつけている。きっと配送業者か何かだろう。いつものこと。その隣の3階の部屋には、階下におりたがらない名物おばさん・マーラ(仮名)が住んでいて、いつもアントニオに「うるさいわよ」と怒鳴り返しながらバケツを引き上げている。マーラは向かいに住む友人のクレア(仮名)とも、空中でバケツを綱渡し。「オイル貸して! ビネガー貸して! 今日はクッキー焼いたの」。きっとそんなやりとりをしているのだろう⋯⋯なんてチャーミング。

 コンテ首相は、イースター後に緩和される予定だったロックダウンのさらなる延長を聖なる金曜日に発表。感染予防対策を守ることを条件に、文房具店や本屋、新生児や幼児に必要な衣料品店の営業は認められることになったが、イタリア全土から深いため息が聞こえてくる。今はイエスの受難と死を偲ぶ期間で、イタリア政府は、カトリック教徒の聖なる気持ちをとことん利用していると思いつつも、やはり聖なる期間なので、カトリック教徒でない私でさえ、もう限界と叫びたい自分を少しだけ律することができる。とはいえ、今回の延長は3週間。気が滅入ることだけは確かである。

 聖なる土曜日になると、スーパーマーケットはいつも以上に混雑していて長蛇の列。一度に3〜4人しか入れてもらえないので入るまでに1時間半も要したが、明日のイースターと明後日のイースターマンデーはスーパーもお休みなので仕方がない。仔羊や卵料理を用意して、本来ならば祖父母と共に家族みんなでイエスの復活を祝うのだが、今回は各家庭で過ごすことになる。一人暮らしの人はビデオ通話などで参加することになるだろう。私ももちろん一人だが、いつもより贅沢なワインとハムやチーズ、サルシッチャなどを用意して、復活祭にそなえることにした。

 イタリアでは、イースターのことをパスクアという。そのパスクアの日曜日には、大家のジョバンナがメッセージを送ってくれた。「おはようチコ。気分はどう? 今日イタリアはパスクアです。おそらくそれは、私たちカトリック教徒にとって最も重要な日です。すべての人類に新たな命を与えるため、神はイエスをよみがえらせました。あなたがクリスチャンでなくとも、私はあなたが幸せな復活祭を迎えられることを願っています。地球にいるすべての人が豊かな生活を送れますように。ジョバンナ」。

 ローマから戻ってきた教会の鐘の音が、イエスの復活を知らせてくれる。私は大家のジョバンナや、近所の住民から伝わってくるいつもとは違う雰囲気を、ほんの少しとはいえわかち合えることが嬉しかった。私の足りない要素を埋めてくれるイタリアは、複雑な生き方しかできない自分の助けになることだろう。たとえロックダウンであっても、この国は私に豊かさをもたらしてくれる。人間が生きる上で大切なことは何なのか。シンプルに生きることの本当の意味を、シンプルな社会が成り立つここイタリアで、私は今後も学んでいくことになるだろう。