その昔、ニューヨークで、
それはまだ、Googleマップもなかった時代で、
地図と道路名を合わせながら店を見つけなくてはならなかったころ、
わたしはことごとく道を間違え、
毎回、なぜか逆方向に歩いてしまうので、
これはもしかしてと、
自分が考える方向とは逆の方向にあえて歩いてみることにした
するとその日から道を間違えなくなった
ニューヨークの道路、なかでもマンハッタンは碁盤の目で、
アメリカは右側通行だから感覚が日本と逆になるのでは? ならば日本では方向音痴にならないはず
と思っていたけれど、
結局はどこにいようがアレレ⋯⋯となる
高校生まで暮らした地元の町ですら、
当時の風景とはだいぶ変わったとはいえ、運転するたびに迷子になる
Googleマップに頼れる今はとても便利だけど、
それも慣れてくると2つ先の曲がり角さえ覚えられなくなって、何度も地図を見返さなくてはならない
これはさすがにおかしいと、自分の脳を疑って落ち込んだ時期もあったけれど、
最近はそのたった数メートルの間に見える景色でさえ意識してしまうから忘れるのだと、
都合のいいよう、解釈するようになってしまった
だからあえて、ナビを見るのも控えるようになってきた
適当に気の向くままに歩いて、歩き過ぎる一歩手前くらいに現在地を確認すればいい
その昔、方向音痴だからこそ発見することが多かった日々のように、その方が単純に楽しい
つまり、便利によって奪われる世界がたくさんあることをもっと意識して過ごした方が、
失った世界を取り戻せるということである
便利すぎるのはよくない、本当に⋯⋯