日本三名園として名高く、国の特別名勝にも指定されている「兼六園」。季節ごとに移り変わるその景観は、それぞれが異なる美を演出し、訪れる人々の心を幾度となく魅了する。昨年の冬が始まるころ、金沢城公園の近くにひと月ほど滞在していた私は、兼六園やその周辺を日々散歩するという贅沢な日常を味わい、毎日が新鮮な空気で満たされていた。
きっとこの周辺は、気の流れが良いのだろう。コロナ禍での帰国による東京での隔離期間が想像していた以上につらすぎて、時差ボケも治らず眠れない日々を過ごしていた私の身体は、ここ金沢にきた瞬間から快方に向かっていった。日頃からアパートメントホテルなどで暮らし、仕事も部屋でしている私は、それが東京になっただけのことと高を括っていたが、それはどうやら大間違いだった。欧州での厳しいロックダウンを二度も経験しておきながら、たった2週間の日本での隔離のほうがつらいだなんて⋯⋯。
だからこそのこの開放感! あー、なんて素晴らしい!! 金沢よ、ありがとう!!! と何度も感謝する日々。コロナは陰性でも、脳や心臓の機能がおかしくなるかも⋯⋯と感じたあの2週間は一体なんだったのかと思うほど、身体の隅々までもが喜んでいる。年末からの緊急事態宣言が開始される前だったことと、金沢は陽性者が少なかったこともあり、周辺からの観光客は意外と多い印象だった。
とはいえ、以前にくらべると数えれるほどに少なく、特に早朝はソーシャルディスタンスなど気にする必要もないくらい誰もいない状況。朝の澄んだ空気の中、金沢城公園をぬけて兼六園の方へと歩いていくと、鳥の鳴き声とともに感じるひんやりした空気が心地よく、この地で朝を迎えるごとにどんどん身体が浄化されていく。
日本庭園の形式の一つである「池泉回遊式庭園」の要素を取り入れつつ、土地の広さを十分に活かして造園された兼六園は、加賀藩五代藩主の前田綱紀から歴代の藩主へと受け継がれ、幾年もの歳月をかけて形成された。大海に見立てた霞ヶ池を中心に築山をもうけ、滝や川から水の流れをつくり、根上松をはじめとするさまざまな樹木を植栽。立春に開花する梅からはじまり、桜、緑葉、紅葉、雪景と一年を通してさまざまな表情を見せてくれる。
「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」という6つの景観を兼ね揃えていることから、その名を与えられた兼六園だが、この六勝を庭園で実現することは相当に難しいという。宏大と幽邃、人力と蒼古という相反する言葉からもわかるように、どちらかを実現するとどちらかが乏しくなってしまう。だからこそ、この対照的な景観をみごとに調和して形作られた兼六園は美しい。点在する茶屋や御亭に立ち寄りながら庭園全体を遊覧できるだけでなく、人の手が入っていることを忘れるような自然の趣をも随所に感じることができる。
私が金沢に滞在していた期間は、冬の風物詩としても人気の「雪吊」が見られる季節。紅葉にもぎりぎり立ち会うことができて十分満足していたが、滞在中にまさかの積雪という幸運に見舞われて、設置されていた雪吊が白く染まる姿にも出会うことができた。白銀の世界に包まれた兼六園はそれはそれは美しく、長谷川等伯の水墨画でも眺めているかのような、そんな時が止まった世界がそこにはあった。
今にも凍りそうな冷たい池の中を泳ぐカルガモや、シラサギの姿からも水温の低さが伝わってきて、本格的に冬がはじまったことを知らせてくれる。朝からすっかり気をよくした私は、昼はおでんに日本酒かな。大好きな農口尚彦研究所の純米、いや、年の瀬も近いことだし山廃シリーズでも購入して、かぶら寿しと一緒にちびちびやるのも最高だなぁ⋯⋯なんて思いにふけながら、雪で彩られた兼六園をあとにした。
それにしてもここ金沢では、いろいろな遊びを楽しむことができる。コロナ禍だから、外食やバーに出掛けることは極力避けてはいるけれど、近江町市場だけでなく、佃煮屋や和菓子屋などのちょっとした商店もたくさんあるので、部屋で過ごす楽しみを無限に見つけることができる。しかも金沢はコンパクトシティ。美術館などの施設を含め、そのすべてが歩いていける範囲に点在しているのだ。
そんなふうに暫く金沢で過ごしていると、この土地は神さまの遊び場なんじゃないかと思うことが多々ある。考えてみると周辺には能登国と加賀国の一宮(こちらの記事を参照)が鎮座しており、当時の都からもそう遠くはない距離。白山という神々の聖地に見守られている上に、日本三大霊山の立山までもが近くに存在するのだ。また、兼六園の作庭にたずさわってきた歴代の加賀藩主たちは、みな一貫して神仙思想をこの庭に投影してきたというが、この美しい庭園がある限り、金沢はきっとこの精神を今後も受け継いでいくことだろう。