八月九日、今日は太平洋戦争でナガサキに原爆が投下された日である。1945年8月6日のヒロシマに続く原爆投下。この日は日本人が、いや世界中の人々が意識すべき2日間であろう。世界のどこかでは、あの日から76年経った今でも内戦や紛争が起きており、アメリカをはじめとする先進国も何かしらの形でそれに関わっている。

コロナ禍の今、ある種の戦争状態とも比喩される今、これまでより戦争に対する意識が高まったという人も多いのではないだろうか。私自身も最初のパンデミックをイタリアで経験したため、戦争という概念をより身近に感じるようになった。ただ、このような争いからは良いことなんて一つも生まれないと感じるのは、私が平和な日本で生まれ育ったからなのだろうか。今日は長崎の原爆跡地と共に、そのことについて考えてみたい。

Nagasaki Atomic Bomb Museum
Nagasaki Atomic Bomb Museum

1945年8月9日、午前11時02分、長崎県長崎市に手動で投下された核兵器「ファットマン」。当時の人口のうち、約3分の1にあたる74,000人が亡くなり、多くの建物が全焼または全半壊、上空にはキノコ雲が立ち上った。原爆が炸裂した位置が市街地の中心部を外れたことや、長崎特有の山に囲まれた地形により、広島に比べれば被害は少なかったものの、実際の原爆の破壊力は、広島に投下された「リトルボーイ」よりも強かったといわれている。

この原爆で特に被害の大きかった浦上川流域は、多くのカトリック教徒が暮らすエリア。当時、この小教区だけで12,000人の信徒がいたというが、そのうちの8,500人もが命を落としたという。爆心地から500メートルほどの距離にある「浦上天主堂」も爆破され、そのときに吹き飛ばされた鐘楼の一つ「アンジェラスの鐘」が、今も埋もれるような形でその場に残されている。

また、1959年に再建された「カトリック浦上教会」の内部には、被爆によって黒く焼け焦げ、目が空洞になった聖母マリア像の頭部が安置されており、同敷地内にある原爆遺物展示室にも、その他多くの遺物が展示されている。倒壊をまぬがれた外壁の一部は、ここから歩いて10分ほどの距離にある「爆心地公園」に移築されているので、こちらも合わせて訪れるとよいだろう。

ここ長崎には、約250年にも及ぶ苦しい禁教時代を耐え抜いてきた潜伏キリシタンの歴史(こちらの記事を参照)がある。その悲しみを共有するはずのキリスト教を信じるアメリカに、しかも最も多くの信徒がいるといわれる浦上地区の上空でこの原爆が炸裂したという事実は、そこを狙ったわけでなくともあまりに悲痛だ。

Nagasaki Atomic Bomb Museum
Nyoko-do in Nagasaki

この時代において忘れてはならない人物の一人、永井隆についてもここで触れておきたい。永井隆は、結核のX線検診に従事した医学博士であるが、戦時中のフィルム不足により、自らの危険を顧みず透視で診断を行なっていたため、放射線を過量に受けて白血病に罹ってしまう。原爆が投下された際にはさらなる被爆と重傷を負い、妻を亡くし、それでも多くの負傷者の救護活動にあたった。

そんな世のため人のために人生を捧げてきた永井博士。彼の療養にあたり、浦上の人々やカトリック教会の協力によって建てられた「如己堂」には、昭和天皇をはじめ、あのヘレンケラーも見舞いに訪れたという。病床に伏してからも、右手が動かなくなるまで執筆活動を続け、この二畳一間の小さな家で、2人の子供たちと共にその短い生涯の晩年を過ごした永井博士。福音書の「己の如く人を愛せよ」という一節から名付けられた如己堂は、併設する永井隆記念館と共に今も浦上教会の近くに残されている。

長崎には他にも、「旧城山国民学校校舎」「山里小学校」「平和公園」「長崎原爆資料館」など、多くの原爆関連施設が残されているが、旧城山国民学校校舎のカラスザンショウからは、被爆後も必死で生きてきた証を感じることができる。今は枯死してしまったが、残された焼痕とムクの木に支えられている姿がなんとも感慨深い。そのような戦争の形跡では、「山王神社」の一本柱鳥居(二の鳥居)や被爆クスノキも忘れてはならない。特に一本柱鳥居は、当時の悲しみが今もそこにぽつんと取り残されているかのようである。

Torii of Sanno Shrine in Nagasaki

現在も世界で起きている内戦や紛争、そして数々のテロは、その多くが民族や宗教の違いからくる争いだ。私は専門家ではないので、この件について多くを語ることはできないし、無責任に言葉を連ねることもできない。ただ、上に立つ一部の人間の、愚かな権力からはじまる国家争いだけは絶対にあってはならない。

戦争は、経済や文化など、政治だけではない小さな積み重ねが大きくなっていく。折しも昨日、東京オリンピックが閉幕を迎えたが、オリンピックは平和の祭典でもある。原爆を二度も投下された日本だからこそ、そしてこの時期だからこそ伝えられる何かがある。そう信じて、今日は黙祷を捧げたい。