連載『マイ・コビッド・ナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。
アパートメントの寝室の窓から、朝日に染まるベスビオ山を眺める。ここに到着したときとは太陽の昇る位置が変わっている。朝焼けの色も濃いオレンジへと変化し、夏に向けてより一層強いエネルギーを放っている。そこにカモメがいつものようにやってきて、気持ちよさそうに空を舞う。コーヒーを淹れて仕事をしていると、教会の鐘の音が午の正刻を知らせてくれる。日曜日以外は、子供が奏でる管弦楽器のように「♪ソソミソソミレレミレド」と流れるメロディー。このメロディーは私をいつも楽しい気分にさせてくれた。そして今、ロックダウンから続くこのルーティーンが終わりを迎えようとしている。
私は大家のジョバンナに連絡を入れた。日本に戻る飛行機の関係で、チェックアウトを早めなくてはならなかった。何度も延長するのが面倒で、5月19日までは部屋を確保していたのだが、ロックダウンが緩和された今、私は一刻も早くイタリアを出なくてはならない。オーストリアへの希望が絶たれたことにより、すぐさま航空券をチェックした私は、唯一、良心的な価格で販売されていたKLM航空のチケットを数日後に見つけた。イタリアから日本への直行便は運航休止のままなので、乗り継ぎ便しか選択肢はないのだが、新型コロナウイルスによる感染対策のルールで、預け入れ荷物を直接日本まで運んでくれる便でなくてはならない。
オランダ経由のKLM航空はこの条件をクリアしており、しかも関西国際空港に到着する便。これは願ったり叶ったりである。なぜなら東京着の便、特に成田空港だと到着する人数が多いので、PCR検査の待ち時間が相当に長いらしい。イタリアでこれだけ厳しい隔離をしてきて、成田空港での待ち時間にウイルスをもらってしまっては、これまでの努力が水の泡である。ここまできたら何がなんでも感染したくない私は、支払い済みのアパートメント料金を一週間分捨てることにはなるが、今は飛行機が運航している曜日も限られているので、この日程で事を進めることにした。
しかし今回は、すぐに予約というわけにはいかない。海外からの帰国者には、空港の検査で陰性だったとしても2週間の隔離が待っている。その隔離施設の値段によっては、東京着の便に変えざるを得なくなる。この頃の日本は、どのホテルや民泊が隔離に対応しているのかほとんど情報がなかった。アパホテルが協力していることはいち早くニュースになっていたので知っていたが、すべての施設が対応しているわけではない。それに窓のない、もしくは開かないビジネスホテルでの隔離だけは、私の性格上避けなくてはならなかった。旅行などで外に自由に出られるのなら問題ないが今回は隔離。そうなると私はきっと発狂する。
いろいろなキーワードで検索をかけていると、隔離に協力している民泊を集めたサイトにたどり着いた。東京が中心ではあったが大阪の物件もいくつか掲載されており、そこに好条件のアパートメントを見つけた私は、近くにスーパーがあるか、レンタカーを返却してから徒歩で向かうことができるかといった必要事項をGoogleマップでチェックし、そして何よりこのサイトや運営する会社が怪しくないかを確認して、希望する旨のメッセージを送った。結果はオッケイ。これは良い流れを感じる。万が一空港で陽性だったとしても、無料でキャンセルできるとのことで何も迷う理由がない。私は即時に航空券とレンタカーを確保した。
チェックアウト当日、アパートメントにやってきたジョバンナに鍵を返し、私たちは別れの挨拶をした。ハグやビズができないので、ジョバンナは愛情のこもった投げビズを代わりに送ってくれた。どうやってこの重い荷物を上階まで運んだのか⋯⋯。自分の馬力に感心しながらも、この荷物を階下に運ぶのは相当に大変であった。目を合わせて挨拶してくれるくらいには受け入れてもらえるようになったサニタ地区の住民たちに、またいつか会えることを願いながら、私はメトロでナポリの中央駅へと向かった。
イタリア人はフレンドリーな印象が強いが、それは公の場でのことであって、彼らが暮らすコミュニティで受け入れてもらえるようになるには時間がかかる。ましてやサニタ地区のような地元民が中心のエリアでは、やはり多少は警戒される。このエリアには外国人も多く暮らしているが、私が滞在していたアパートメントやその周辺は、生粋のイタリア人が中心だった。ロックダウンだったこともあり、コミュニケーションを極力控えなくてはならなかったことは残念だったが、窓から外を覗くとおなじみの顔がそこにはあって、ロックダウンだったからこそ日々の生活を垣間見ることができたようにも思う。
ナポリの中央駅はいつもとはまったく異なる雰囲気で、構内に入るとすぐに警察が行き先を聞いてくる。それならこっちを回るようにと導線を誘導しており、駅構内で待機することは一切禁止されていた。ロックダウンが開けて間もなかったので、何かあっては困ると早めに到着していた私は、駅の外で時間を潰すことにした 。すると、小さな女の子が「パパ〜」と私の近くにいた男性の元へと駆け寄ってきた。抱きかかえられた女の子はとても嬉しそうだった。ママと思われる女性は、女の子のリュックをパパに渡すとすぐに駅構内へと戻っていった。おそらくこの子の両親は離婚したのだろう。ロックダウン中はずっとママと暮らしていて、同州内での移動が可能になった今、ようやくナポリで暮らすパパに会いに来れたのかもしれない。私は目頭が熱くなった。女の子はずっとパパに会えず我慢していたのだ。
電車の時間が近づいてきたので、私は指示された導線を使って改札へと向かった。警察に移動のための自己申告書とパスポート、チケットを見せる。チェック済みのスタンプが押された申告書はその場で回収だったので、私はローマの空港に行くときに乗り換えがある旨を告げた。駅の改札から出ずに乗り換えるので大丈夫だとは思うが、万が一のことがある。またそこで検問があると、私は罰金を取られる可能性があるのだ。警察はスタンプの上にサインを入れて申告書を掲げ、自らも映るかのような仕草をしながら笑顔で写真を撮っておくよう指示をした。
ローマへ向かう列車の私の乗った車両には乗客が数組しかおらず、なかには席に着くなり消毒液でテーブルを拭くなど、かなり用心深い人もいた。私もできるだけ人が触れる箇所には触れないよう気をつけた。久しぶりの移動に不思議な感覚を抱きつつも、のどかな風景を眺めているとあっという間にローマに到着。閑散としていたナポリの中央駅にくらべて、ローマの駅構内ではたくさんの人が移動していた。もちろん、通常とは話にならないくらいの人数ではあるが、ロックダウンを経験した後だとすごく大人数に感じる。
ローマのテルミニ駅から空港へ向かう列車の中はさらにガラガラで、椅子には二席開けて座るよう指示を記したテープが貼られている。これは床も同様で、立つ位置が明確にわかるよう足跡マークがつけられていた。私はフィウミチーノ空港にあるホテルにチェックインし、明日のフライトに備えた。翌朝、まずはアムステルダムへと向かう。チェックインカウンターに順番を待つ乗客の姿はいない。空港の職員は、荷物を預ける際に入念にパスポートを見ながら何か考えたようだが、「あなた日本人なの?」と聞いてきただけで、ビザの期限については問題にならなかった。
空港で営業している数少ない店舗の中にベーカリーがあったので、私はクロワッサンとコーヒーを買い椅子に座って一息ついた。ローマ発の飛行機はEU国内線。イタリアの判断は大丈夫でも、乗り換えのアムステルダムで大丈夫だとは限らない。シェンゲン協定のルールにおける出国の判断を下すのはスキポール空港の審査官なのだ。在オランダ大使館には事前にメールで確認しておいたのだが、「もしかすると出国審査において問題になり、イタリアでビザの期限を超えて滞在が許されていたことを説明する必要がある。事前に判断がほしい場合は、出入国を管理するオランダ王立軍警察に電話で確認してみてください」とのこと。これには無理があるので、私は運に任せることにした。
ローマを20分遅れで出発したKLM航空の機内には、片手ほどの人数しか乗客はいない。マスク着用は義務化されており、サンドイッチやビスケット、水は最初から座席に配置されていた。通路を挟んだ斜め前のシニョーレは、これでもかというくらいにテーブルや椅子、自らの手を消毒。持参したバナナを食べようと慎重に皮を剥いていた。出されたビスケットを食べるときにも、中身に指が触れないよう袋を開けるのにこれまた慎重になりすぎて、ころころっと床へ落ちる始末。目が合った私たちは、この慣れない仕草の行く末にうなずきながら、コロナ禍らしく静かに笑い合った。
アムステルダムに到着すると、次は国際線の出国審査へと向かう。一番の問題はここである。出国審査のブースは一つしか稼働しておらず、私の前には4〜5人の乗客が並んでいた。あっという間にスタンプを押されて皆、ブースをくぐり抜けていく。「あの審査官は甘いのかもしれない」と気持ちホッとしながら待っていると、なんと、次は私の番というときに審査官が交代したのである。「いやいやいや、これは吉と出るのか凶と出るのか」、心臓がドキドキする。審査官は一瞬するどい目で私を見た後、すぐにバンとスタンプを押した。
私はすぐさま「よし!」と叫びたい気持ちであったが、踊る気持ちを抑えて少しだけ早足でその場を進んだ。「あ、ちょっと君。もう一度パスポート見せてくれる?」なんて言われたら最悪である。ローマのフィウミチーノ空港同様に、ここスキポール空港も免税店や飲食店はすべてクローズ。売店が一軒だけ開いていたので、ハイネケンとポテトチップスを購入した。赤と白のテープが至る所に貼られた小綺麗な工事現場のような空港を見渡しながら、着席可能な椅子を選んで腰を下ろす。周辺には誰もいない。先日のナポリ中央駅からスキポール空港の審査を抜けるまでの約24時間、ある意味コントのような時間だったなとしみじみ振り返りながら、不法滞在者にならずに済んだ自らの好運に、私は一人、ビールで乾杯した。
関西国際空港に向かう機内にも乗客はほとんど乗っておらず、ここでも機内食はあらかじめ座席に配置されていた。水とソフトドリンク以外のサービスは提供していない。すべてパッケージされた夕食だけが時間になると運ばれてきた。あらかじめ配置されていたジップロックの袋の中には、コーラと水、ビスケット、スナック、みかん、サンドイッチなどが入っていたので、小腹が空いても問題になることはなかった。乗客が少ないため、同じ洗面所を使用するのも2〜3人。それでも客室乗務員は、人が入るたびに消毒を施していた。隣に並ぶ椅子もすべて使えるので移動は快適だったが、それにしても大変な時代になったなと、人の気配をほとんど感じない機内に不安と違和感を覚えた。