連載『マイ・コビッド・ナインティーン』は、欧州と日本での引っ越し生活を第二の人生のライフワークとする私が、これまでに体験してきたコロナ禍での暮らしと、その暮らしを中断せざるを得ない現状、そして復活させるまでの日々を綴るエッセイです。
京都にはひと月半ほど滞在していた。このときの滞在は後に自分のルーツを探るきっかけになった。隣県には大切な友人が眠るお墓があったので、そこに会いに行けたことも私にとっては大きかった。いろいろな意味で有意義な時間を過ごせていたのでもう少し滞在したかったのだが、借りていた家には次の予約が入っていた。移動を余儀なくされた私は、JALのマイルを使って北海道へと飛んだ。きっと自然豊かな美しい環境に身を置きたかったのだと思う。そのくらいの場所でないと、イタリアで過ごした祈るような時間が汚されるような気がした。京都の緑豊かなお寺の代わりになるもの、それは北海道の大自然だった。本当はずっと自然の中にいたかったけれど、金銭的な問題でまずは札幌に行き、数週間生活を送ったあとにレンタカーで道東へと向かった。
とにかくずっと自然に触れていたかった。京都ではお寺がとても身近な存在となり、心の中ではあるけれど日常の挨拶を交わし、日々の会話をする貴重な相手となってくれた。境内を眺めながら聴く鳥の声や、木々の揺れる音、川の流れる音に耳を傾け、五感を意識して過ごしていたこともあり、北海道でもすごく自然が味方になってくれた。この地ならではの移ろいやすい天候も、その場に到着した途端に晴れ間をもたらしてくれる。自然と一体となるとはこういうことなんだと身に染みて実感した。札幌での暮らしはあまり肌に合わなかったが、京都に続いて本当に素晴らしい体験だった。この時期の日本は新型コロナウイルスの状況が落ち着いていたため、観光客の姿もちらほら見かけたが、大自然がその場に放つ大きな力にたった一人、包まれることができたのである。
行く先々で出会うのは、湖や田園風景、海に山、滝や川、揺れる木々、きつねに鹿、そして空を飛ぶ鳥。ときに怖さを感じるくらい周辺には自然しか存在しない。広大な大地を走り抜け、気がつけば2,000キロを超える距離を運転していた。これは青森から鹿児島までの距離に値する。どこにも帰る場所のない私は、居場所を探すかのように走り続けた。日本最北端に位置する稚内、サロマ湖、知床、野付半島、釧路、摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖、帯広、富良野、美瑛⋯⋯。いくつもの絶景をかけ巡りながら、ときに死んだように止まった時間を見つめながら、自然の神秘に触れながら⋯⋯。
その後は函館に拠点を移し、いつものように仕事をしながら穏やかな日々を過ごしていた。でも何かが抜け落ちたままだった。新型コロナウイルス以前から引っ越し生活を送っていたので、特段何かが変わったわけではない。東京で暮らしていたときも、最後の一年はアパートメントが自宅兼事務所であり、今はその場所を移動するようになっただけ。精神状態を保つために、生きていくためには自然と生活を変えざるを得なかった。おかげでだいぶ安定した日々を送れてはいるが、新型コロナウイルスにより何かが変わってしまった。
大切な何かが失われている。この感情とはもうずっと付き合ってきたが、新型コロナウイルスはその感情に拍車をかけた。海外から帰国して、当たり前に実家に帰れる人を羨ましく思った。私は帰国を余儀なくされたとき、空港で陰性結果をもらい2週間隔離、さらに安心させるために実家のある県でも2週間隔離すると申し出た。それでも無理だった。家族のうちの一人は、私が帰ることで2週間仕事を休まなくてはならない。実家のある県で私が隔離をするにも関わらずである。それだけでなく周囲の目が怖いのだ。私の家族が悪いわけではない。現実をきちんと主張できる人であってくれたらという思いはあるが、こればかりは仕方がない。そもそも日本全体の空気がそうさせているのだから。
日本の検査数の少なさを考えると、先進国の中では日本で暮らす人々が一番、隠れ陽性である可能性が高いというのに、海外から帰ってきて検査も陰性で隔離もして、さらに実家のある県でも隔離をする。そこまで考えて行動しても、海外からの帰国者というだけで疑いの目を向けられる。皆、事情があってのことなのに、帰国や移動という行為そのものを真っ向から否定されるのだ。日本で暮らす人々は検査もせずに日々移動しているというのに、自分達のことは棚に上げて、しかも中には、検査で陽性なら会社に干されるからといったそれこそ意味不明な理由まで聞こえてくる。日本という国はねじ曲がった考えだけは発達して、その意見ばかりを鵜呑みにして、自分の頭で何も考えられない、適切な判断を下せない国に成り下がってしまったのかと悲しくなった。
だから私は欧州に戻ることにした。この頃の欧州は、ほとんどの国で日本よりも感染者数が減っていて、それも日本の何倍も検査数が多い中での数字なので安心感があった。もちろん、状況によっては移動など考えなかったし、気温が下がってくるにつれてまた感染者数が増えることもわかっていた。ただ私の場合は旅行ではなく数か月単位の生活で、家で仕事をするため感染リスクが低い。また、日本の報道が自国をコントロールするためにいかに切り取ったものであるのか。これらをイタリアで身を持って体験してきたので、欧州が今どういう状態にあるのか、ある程度判断できる力があった。そしてそれが、行動を移すきっかけになった。
しかし、ビザの期限がきたら次もまた日本に戻るしか方法がないかもしれない。シェンゲン圏以外に出国すればよかった時代は、新型コロナウイルスによって通用しなくなったからである。するとまた、厳しい隔離期間が待っている。理不尽な攻撃をたくさん目にして、さらに嫌気がさすことになるかもしれない。それでも今の日本社会に身を置くよりはマシだと思った。これは政府の煮え切らない対応にも問題はあると思うが、メディアの報道のあり方を含めてこの辺りの感覚があまりに世界と異なるからだ。
日本で借りられる家具付きのアパートメントが、家で仕事をする人にとって不向きであることも問題だった。マンスリーマンションは高いので民泊を選ぶしかないのだが、日本の民泊はベッドを敷き詰めただけのような物件が多く、床に座るローテーブルが中心。東京で20年暮らしてきて地方を含めて相場がわかるだけに、インテリアの趣味がよいとかキッチン用品が充実しているなど何かプラスαの要素がないと、ワンルームの小さな部屋に高い値段を支払うのは気が引ける。さらには、ひと月以上の長期滞在に対応している物件も世界に比べて少なく、田舎の一軒家などは意味不明な価格設定であることも多い。きっと日本のホテルや旅館が、ひと部屋いくらではなく一人いくらというシステムなので、人数制限はもちろんあるとはいえ、特別な環境でもないのに一軒家の広さに合わせて値段を設定しているのではないかと思う。
新型コロナウイルスによって宿泊需要が減ったことで、一時的に値段をぐっと下げて対応する物件も日本は少なかった。海外のように需要を得るために貪欲になる行動がよい意味でできていたのは、いくつもの部屋を買い取って会社で経営しているケースがほとんど。それも中国人が関わっているなど、大抵が日本人だけで経営している会社ではなかった。これは滞在中のやり取りで気づいたことだが、京都で借りた一軒家も北海道で滞在したアパートメントもそうだった。生粋の日本人経営ではない。だから以前の半額に近い価格で宿泊できたのである。日本は欧州のように長期で休みを取ることがあたり前の国ではないので、そういった旅行に関するさまざまな感覚を個人では掴みづらいのかもしれない。
私は欧州で日本を受け入れてくれる国を探し始めた。国によって入国できる条件はさまざまで、その条件も新型コロナウイルスの様子を見ながら日々更新されていく。確実に入国できる国の航空券を確保するのは至難の業で、各国の大使館のホームページを見ながら、この国はルールが変わったばかりだから少なくとも一週間は大丈夫かもしれない。このようなタイミングを見計らいながら国を選ぶのだが、直行便が限られる現在は経由地が定めるルールも考慮しなくてはならない。そこで、個人的な条件も含めてクリアした国がスペインとフランス。夏のバカンスシーズンと重なり、フランスの田舎は手頃な価格のアパートメントを長期で確保することが難しかったので、まずはスペインのアンダルシアで過ごすことにした。
スペインへの直行便は欠航したままであったが、ANAの特典航空券を利用したかった私はフランスのシャルル・ド・ゴール空港を経由するので問題ない。本来であればスペインへは空港を移動してオルリー空港から出発する便を選んだほうが安く済む。だが今はコロナ禍ということもあり、パリでの移動手段も限られていた。私はできるだけ感染を避けるため、シャルル・ド・ゴール空港にあるホテルに一泊。翌日セビーリャへと向かった。空港の欧州線が発着するエリアはもの凄い人の数で、日本とはまったく異なる光景がそこには広がっていた。国際線エリアが閑散としていただけに、これには一瞬、足を止めるほどだった。皆マスクを装着しているとはいえ、正直、ここまでバカンスが復活しているとは思いもしなかった。