自分のことを前面に出して、自由に書くことのできるこのメディアであっても、
今の時代、そうはいかない

ある程度は言葉を選んで書かないと、後々大変なことになる

かといって、感情が乱れているときや暗闇の中でもがいているときにありのままを表現できないとなると、心がどんどん荒んでいく

こういうときに絵や音楽であればなにも問題ないが、文章だけは不利である

だからまずは、ざっと心の声を書き出して、
気持ちを少し楽にしてから、ほとんどの文章を一度削除する

その上で嘘のない、ぎりぎり出してもいい文章に書き換える

そこで昔のエッセイなんか読んでいると、
この言葉もあの内容も今では危険だなと、本当にうらやましく思う

その言葉があるからこそ内容に色が生まれて、独自の世界観や感情として伝わることもあるのに⋯⋯

むろんいつの時代にも、“ここは表現を変えましょう”という多少の制約はあると思う
今、読んでいる30年程前に出版されたエッセイも、
すごく自由に描かれているように見えて、不快な思いをさせないテクニックが垣間見れる

だから現在でも、そのテクニックの磨き方次第である程度までは自由に描けると思う

けれどもここ数年で、表現の自由があからさまに失われているのは確かであって、
だからこそ行間を読めない、ましてや文脈を読まずにクレームを入れるような読者に気をつかうことだけはやめてほしい

それはせめて、マスの世界である新聞やテレビ業界だけにとどめてほしい

昔のような自由な社会が戻る可能性は、当分はもう期待できないわけだし、
今の時代に合わせた価値観が大切なこともわかるけれど、芸術の世界までをも大衆に合わせるのはいかがなものか

本来であれば表現者を守る立場の人が、ヤフコメに溢れているような負の発言をイチイチ気にしていたら、この国から大切なものがどんどん失われていく