詩人に哲学者、心理学者、宗教家、
さまざまな人がこの(存在)様式について考え、説いてきたことだろう

“所有(持つこと)”か、“存在(在ること)”か。

わたしは圧倒的に後者、“在ること”に価値を置く。

たとえばの話、
自分の家を持ちたいと思ったことが40年超の人生で一度もない

もちろん、所有欲がまったくないわけではない
ただ、幼い頃から母が感心するほど、人と同じ物をほしがらない子供だった

モノだけじゃない

だれかの所有物になることも絶対に嫌だし、その逆もしかり。
だれかを所有したくない

だから自由で、疑う余地なく信頼しあえる相手でないと、
わたしがこの先、結婚することはないだろう

子供についてもそれは言える

子供は親を選べない
その時点で、親は子供を所有することなど考えてはいけない

子供がほしくて作ることを決めたのなら、
産まれてきた存在をただ愛し、育てるだけ。

むろん悩み苦しみ、互いに憎しみあうこともあるだろう

だとしても、存在が所有に変わってはいけない

これは厳しいかもしれないけれど、子供に感謝を求めるのもどうかと思う

親が子を育てるのは当然であり、
その親への感謝は、子供が自然発生的にすることだからである

新型コロナウイルスにより、この所有を欲する人が減ったように感じていたけれど、
人間はそう簡単には変わらない

そんな美しい世界は一瞬で消え、
今はまた誰彼の欲、それもモノではないもっと恐ろしい権力の所有へと変移している

それらどの所有にも巻き込まれないよう、自分が自分であること。

そして、「今、此処」の意識をしっかり持って生きていきたい。