Pisa-Italy02

『Ökumene ASUHA BETSUNO SEKAI』をスタートさせてから、一年と少しの月日が流れました。世の中というのはあっという間に変わっていくのだと、嫌でも痛感する毎日でした。この間に起きたロシアによるウクライナ侵攻も、いまだ解決することなく続いています。そして、新型コロナウイルスが終息するのはいつなのか。日本もようやく共存へと舵を切りましたが、今でも足の引っ張り合いが続いていることは否定できません。

この先の未来がどうなるのか予測がつかない毎日ですが、そういう時代に突入した。そう考えるほうが自然なのかもしれません。どんな時代においても、形は変われど日常は続きます。それが昔は不思議だったのですが、今はもう不思議だと思わなくなりました。これまでに見聞きしてきた物語の世界が、今ここに存在するからです。

さて、ここ最近の『Ökumene ASUHA BETSUNO SEKAI』は、日々の感情や出来事を自由に綴る連載『人間と青』を中心にお届けしていますが、この形はしばらく続くと思います。この連載は、自分の思考を分析するための実験でもあります。Webマガジンとして始めたものの、やはり一人で、それも一人称で発信していると、どうしても自分のサイトのように変化してしまい、少し反省しております。

ただ、“日常の視点を変えていくLIFE TRAVEL誌”という、目指すメディアの形は変わっていません。

このLIFE TRAVELの“TRAVEL”は、いわゆる旅行ではなく“動く”という意味で使っています。わたし自身のライフスタイルがそうであること。そして、停滞した日常や凝り固まった考えを動かしていけるように、そこから新たな未来を描いていけるようにという思いがあるからです。

そのような視点で選んだ日本の歴史ある場所やその土地特有のものを、いわゆる観光目線ではなく、日常の延長線上にあるものとして紹介できたら。当初はそう考えて取り組んでいましたが、新型コロナウイルスが終わらぬ中で発生したロシアのウクライナ侵攻は、またしてもわたしに強い衝撃を与えました。

より日常に焦点を当て、より個を大切に書いていく(=生きていく)ことのほうが、このメディア(=今の自分)には必要だと感じました。

わたし自身の経験や思考、感覚を前面に出していくことになるので、どこまで人の役に立てるのかはわかりません。もはや人の役に立ちたいとも思っていない、というのが実際の本音です。それはどういうことかというと、人は自分でなにが大切かを考えて行動できない限り、その先に新しい未来などないからです。他人に優しく接することも互いを認め合うことも、真の意味ではできません。

今の日本を見ているとよくわかります。

ですから今後、わたしがやろうとしていることはアートに近いのかもしれません(あくまで方向性であり、現段階でこれをアートとは思っていません)。わたしのライフスタイルから紡ぐ文章になにかを感じ、新たな人生を生きようと思える人が一人でもいたら。だから今はただ伝えていきたい、シンプルにそう思います。

また、5月には欧州と日本を行き来する生活も再開しました。以前のように年の半分をイタリアやフランスで過ごし、日本にいる間も移動生活というスタイルを続けるかはまだ未定ですが、わたしはひとつの場所に留まることができないので、世界の状況を見ながら新しいやり方を模索していきます。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

2022年10月某日
Ökumene ASUHA BETSUNO SEKAI,
CHIKO HIROKAWA